芒果布甸/Mango pudding



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13.私房菜 2



 「ぶほっ!げほげほっ!」


 「んもー、汚いヨ、ノダメサン」


 「だ、だって、Ruiが突然へんな事言うカラ……」


 のだめはグラスに注がれた水を一気に飲み干し、なんとか喉元につまったものを押し込んだ。


 「昨日は、ノダメサンのピアノを聴いて、もう一度がんばろうって思った話したデショ?
 だからノダメサンに感謝してるって」


 「はい」


 Ruiはもう一口、ワインを飲み、頬杖をついて、思い出すように宙を見つめる。


 「ワタシはノダメサンみたいに、普通の女の子としての生活とか、楽しみを経験してないって、ちょっと嫉妬してたんだけど……。
 音楽ばっかりだった私でも、いろいろな経験とか、喜びを味わっていたっていうこと、千秋が気付かせてくれたんだよネ。」


Ruiは、両手をすぅっと体の前に伸ばすと、その長くて美しい両手を、愛しそうにじっと見つめている。


 「だから、パリで千秋の指揮で、オーケストラとやってみたいって思って。
 あのラヴェルは千秋に恋した大切な思い出なの」


 ちょっぴり辛かったケド、とっても楽しかったヨ。


 Ruiはまっすぐな瞳で、のだめを微笑みながら見つめた。


のだめはあの、素晴らしくも切ない、ラヴェルのピアノコンチェルトの夜を思い出した。
嫉妬、羨望。自分がちっぽけで、世界に一人きり取り残されたような孤独感を思い出し、胸の奥がチクンと痛んだ。


 「そ、だったんデスか……」


 「ノダメサンにはピアノをもう一度がんばることを、千秋には音楽を楽しむ喜びを気付かせてもらって、だから二人には感謝の気持ちでいっぱいなんだよネ」


 だから、ノダメサンにお礼がしたかったの。かといって、こんな話、千秋にするわけにはいかないデショ?ワタシにだって、女の意地があるからネ。


 ウィンクを送るRuiは、すっきりとした表情だ。


 それに対して、自分の恋人に恋をしていたと告白されたのだめは、なんとなく感じていたことではあったが、複雑な心境には間違いなく、どんな顔をしてよいのか困ってしまう。


 「ああ!ノダメサン、安心してね?
 千秋への思いはもうスッキリ、サッパリないんだヨ!」


 のだめの複雑な表情に、Ruiはあわてて続ける。


 「てゆーか……、今は別の人に、人を愛する喜びを教えてもらっているというか……」


 さっきまでの余裕の表情から、照れて赤らめた頬を両手で押さえて、うつむき加減でつぶやくRui。


 「ぎゃぼっ!そ、そなんデスか?」


 それは誰?のだめも知ってる人デスか?いや、まさかね?同郷のよしみのユンロンとかないデスよね?


 「そ、それは……。きゃー!恥ずかしいヨ、ノダメサンったら!」


 さっきまでの年下だが余裕だったRuiとはうって変わって、小娘のように照れて、落ち着きをなくしたRui。


 い、痛いデスよ、背中おもいっきりぶたないでくだサイよ?
 でも、ちょっと面白くなってきまシタね?









 カーリンからの次の料理が運ばれてきた。
 大皿にいっぱいに乗せられたのは、色とりどりの点心たち。


 「むっきゃーーーー!とっても綺麗デス、はぅん……」


 翡翠色の蒸し餃子はカエルの形。可愛らしい桃色の桃饅頭。
 真っ白でうさぎの形をしたのはココナッツパウダーをまぶしたカスタード餅。
 はりねずみの形をした、甘い叉焼の入ったパイ。
 黄金色のぱりぱりの薄皮を花びらのように纏った春巻き。
 彩りはもちろん、その形まで大変なこだわりで作られている。


 「うわっ!カーリンすごいヨ。また腕を上げたネ?」


 「ありがとうございます。点心の職人がみたら、笑われるような代物だと思いますが、自己流で見よう見まねで作ってみました。
 このような点心は、女性にはとても喜んでいただけるので」


 「本当に食べるのがもったいないくらいデス。しっかり味わっていただきマスね?」


 テーブルにはお茶が運ばれてきた。ジャスミンの花茶だ。
 ガラスのポットの中で、ゆっくりと花が開く様子を楽しみながら、点心を味わう。


 「はうー。のだめ大満足デスよ。
 カーリンにもRuiにも感謝デス!」


 「喜んでもらえてよかったヨ。
 ワタシも一人旅では、ここまでいろんなもの食べられないから、ノダメサンのおかげで大満足だよ」


 いろんな話も聞いてもらえたし、あのとき思い切って誘ってよかったヨ。


 「ん?まだ肝心の、Ruiのお相手を聞けてないデスよ?」


 「え?またそこに戻る?」


 「もー誰なんですか?正直に白状してくだサイ?」


 「えー?!恥ずかしいよ、困るヨ、勘弁してよぉ〜」









 ジャスミン茶を飲みながら、点心を完食。最後のデザートが運ばれてきた。


 真っ白の、何も飾り気のないシンプルな器に、真っ黒な液体が注がれている。


 「うぅ、これは……」


 そっと鼻先を近づけてみると、甘い黒ゴマの香り。
 スプーンですくってみれば、濃厚なとろみに期待が高まる。


 「はぅん……黒ゴマのお汁デスね?」


 その中には、真っ白でぷるぷるの白玉餅。餅を一口で頬張れば、餅の中にはさっぱりとしたしょうが味の餡が入っている。


 「うん、黒ゴマの汁の濃厚で優しい甘さに、しょうがの味がさっぱり。
 最後まで手抜きなしだね、カーリンは」


 「本当に。これを一人で作ってくれただなんて、のだめ本当に感激デス。
 カーリン、ありがとうございました」


 「こうして、お客様が喜んでくださって、それを直接伺える喜びがあるから。
 私こそ、このように喜んでいただいて、綺麗に召し上がっていただいて、ありがとうございました」


 カーリンは、にこやかに微笑み、二人の若い音楽家に心からの感謝を伝えた。


 「カーリン、もしできれば、滞在中にもう一度、軽くランチでいいからお願いできないカナ?」


 「ごめんなさい、無理なんです。明日にはフランスに行かなければならなくて」


 「え?お仕事かなにかデスか?」


 「ああ、カーリンはフランスにご主人がいるんだヨ」


 「ええっ!フランスと香港に分かれて、結婚生活を送ってるんデスか?」


 カーリンはフランスで料理を学んでいるときに知り合ったフランス人男性と交際を始め、その後、香港に戻ってからも遠距離で交際を続けていたが、このプライベートレストランを始めた時、彼との結婚をきめたのだという。


 「フランスでとか、香港でとか、どちらかの国で一緒に暮らすことは考えなかったのデスか?」


 「お互い仕事の都合で、彼はフランス、私は香港にいることに意味があったの。


 人間って、すごく弱くて、あっという間に流されちゃうでしょ?
 距離とか、時間とか、物理的なことを理由に、自分たちの本当の気持ちには目をつぶって、大切なことを二の次にしてしまうから。


 でも、私にはどうしても彼が必要で、彼も私のことを同じように思ってくれたから。
 流されないように、遠く離れてる私たちを留めておく、碇みたいなものかな、結婚って」









 プライベートレストランで濃厚な時間を過ごした二人は、いつもより早めにお互いの部屋に分かれた。


 のだめは、最後にカーリンから聞かされた結婚についての話をずっと考えていた。


 なかなか一緒にいられない二人。時間や距離を理由に逢えない時間が増えていくこと。
 まさに自分と真一にもあてはめられる話であった。


 結婚はいつかするのだろうけど、そのタイミングがわからない。
 

 左手薬指には、真一からもらった約束がしっかりと残されている。


 いつか自分からしたプロポーズは冗談と軽く流されてしまったけど、あのプロポーズは、音楽と真剣に向き合い続けることに嫌気がさした、自分の現実逃避だった。
 あの時、真一が真に受けなくってよかったと、今なら言える。


 なにより、真一の音楽が大好きで、そばにいられないことを覚悟してでも、彼が飛び立てるように背中を押したあの日。


 結果的には、その後もずっと一緒にいられたのだけれど……。


 だからこそ、絶対に彼の邪魔だけはしたくないのだ。


 真一の勉強とかキャリアアップとか、それとのだめとの結婚のタイミングを彼がどう思っているのか、まったく見当がつかない。


 そもそも約束なんて、かなえられる保証はあるのだろうか?
 逢えない時間と、離れた距離に、このまま流されていくことだって……。


 ネガティブな思考の渦に巻き込まれそうで、そんな思いを振り払うかのように、力いっぱい頭をぶんぶんと振る。


 とにかく明日の朝、千秋先輩に電話しなくちゃ……。
 繰り返す思考を強制的にストップさせて、ベッドに潜り込んだ。





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