芒果布甸/Mango pudding



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マエストロの婚礼 9






 なんで俺、こんな目に遭ってるんだ……。


 前回、のだめと訪れてから1週間。
 真一は、シモーナとの約束を果たすため、初めて教会の日曜礼拝に出席した。


 初めてのことに気が重かったが、快晴の空が若い二人の輝かしい未来を祝福しているようで、背中を押されるようにアウトストラーダ・デル・ソーレをナポリ方面に南下する。


 いつもの出口を降り、なんとか覚えた道を進めば、とつぜん海岸線が現れる。
 快晴の空の下、きらきらと光り輝く水面は、見る人が見れば魅力的であろうが、真一にとっては恐怖感を煽る以外のなにものでもない。


 ダッシュボードの上のサングラスをかけると、海岸線から意識を切り離して教会へとむかった。








 教会に到着すると、開け放たれた扉の前に牧師が立ち、次々に訪れる信者たちとにこやかに挨拶を交わしているのが見えた。


 真一はどうしたらよいのかわからず、離れた場所から様子を窺っていたが、突然背後から、聞き覚えのある、よく通るソプラノに声をかけられた。


 「シンイチ!よく来てくれたわねっ!」


 夫であろう、よく日に焼けたたくましいイタリア男性と一緒に、シモーナが近づいてくる。


 「先日はありがとうございました」


 前回同様、シモーナに熱烈なハグの歓迎をされ、夫とも握手をかわし、簡単に紹介される。


 「牧師さんにもシンイチを紹介するわ。
 さ、一緒に来て」









 牧師は驚くことにまだ30代に入りたての若さで、真一より少し高いすらっとした長身に、彫りの深い甘いマスク。
 イタリアの明るい太陽をあびて小麦色に焼けていて、男性の真一から見ても美しかった。


 よくよく周囲に視線を移せば、挨拶をすませた者、これからの者も含め、結構な数の若い女性たちが牧師の近くにいて、熱い視線を送っている。


 「アラン牧師、こちらが先日お話した日本人指揮者のチアキです。
 シンイチ、こちらがアラン牧師よ。若くて美しいから驚いたでしょう!」


 「はい……、はじめましてシンイチ チアキです」


 「はじめまして、牧師のアランです。
 ようこそおいでくださいました」


 「この度は突然のお願いで申し訳ありません。よろしくお願いします」


 簡単に挨拶をかわすと、シモーナについて教会の中へと進んだ。









 信者たちがいつもの席につくと、真一は後方の空いている席に腰を下ろした。


 シモーナからは一緒に座ろうと誘われたのだが、自分はあくまで部外者だからと遠慮する。


 賛美歌が信者たちにより歌われた後、アラン牧師の説教が始まった。


 "声まで完璧だな"


 祭服を身に纏った若く美しい牧師。


 美しいバリトンが優しく教会本堂に響き渡る。


 若い女性だけではなく、老若男女、すべての信者たちがうっとりと牧師の声に耳を傾けていた。


 もう一度、賛美歌が歌われ、お開きになるかと思われていた礼拝であったが、突然、牧師から意外な言葉が聞こえてきた。


 「今日は、私たちの教会に新しい仲間がいらっしゃいました。最後にこの方からお話をしていただきたいと思います。
 チアキ、こちらへ」


 "そんな話、聞いてねぇ!"


 驚きととまどいにどうしたらいいのか思考は停止する。


 全信者の視線が自分へと向けられているのを感じる。


 そして、視界に飛び込んできたシモーナの優しく温かい視線"がんばって!"と動いた口許に背中を押され、真一は初舞台に上がったときの事を思い出し、口の中がカラカラに渇くのを感じた。


 牧師のところまで何とかたどり着き、


 「あの……、何をお話すれば……」と尋ねる。


 「そうですね、あなたの今までの人生についてお話していただけますか?」


 「じ、人生……」


 救いを求めるように牧師の目を見つめ返すも、美しいほほえみを浮かべるだけで、救いの手は差し延べられない。


 真一はもうどうにでもなれと開き直り、信者たちに向き合い、話しはじめた。


 「私は27年前にフランスで生まれました。


 幼い頃から音楽に親しんで育ち、セバスチャーノ・ヴィエラの指揮するベートーヴェンを聞いて指揮者になろうと決意しました。


 12才のとき、家庭の事情で母と日本に帰国したのですが、それ以来、私はあるアクシデントにより国外に出ることができなくなってしまったのです」


 水を打ったように静まり返った本堂。
 午後の優しい光りが、上部に備えられたステンドグラスから降り注ぎ、真一は生まれて初めて、神の存在を身近に感じながら、自分のまだ短い半生について語りはじめた。


 「ヨーロッパに住む皆さんには想像出来ないかもしれませんが、指揮者になりたいと願いながら、国外に出られないのは大変辛いものです。


 日本にいながら音楽の勉強を続けていても、ここから動けないのであれば、いっそのこと音楽など辞めてしまおうかと、自分の人生を恨みました。


 もう辞めてしまおうかと自暴自棄になっていたとき、ある一人の女性に出会いました。


 彼女は優れた音楽の才能を持ちながらも、私のような夢を持つことなく、ただ音楽を奏でることを楽しんでいました。


 ある日、彼女とピアノを連弾する機会を得たのですが、そのとき私は身震いするような感動を味わい、音楽を楽しむ喜び、その大切さに気づいたのです。


 その後、私は無事ヨーロッパに渡ることができ、指揮者になりましたが、今から思えば、あの苦しかった時期は、私が音楽の真髄に気づくために、神様が与えてくださった試練だったのかもしれません」









 礼拝が終わり、建物の外に出ると、何人かの信者たちににこやかに挨拶され、自分がこの場所で受け入れられたことを知る。


 シモーナがアラン牧師とともににこやかにやってくる。


 「とても良いお話でした。チアキは牧師にもなれますよ」


 「このような経験ははじめてのことで。
 無我夢中でよく覚えていません。不思議な体験でした……」


 牧師は、すべて理解しているような深いまなざしで真一を見つめ、静かにうなづいた。


 「来週はパリに戻って公演があるのでこちらに伺えないのですが……」


 「来られる範囲で結構です。無理していただく必要はありません」


 「わかりました」


 「ところで……、お話されていたピアノを連弾したという女性、彼女があなたの婚約者なのですか?」


 「はい……、その通りです」


 「まぁー!NODAMEは真一を救ってくれた恩人でもあるのね」


 静かに隣で微笑んでいたシモーナが声をあげる。素敵なパートナーね!


 自分とのだめの関係をあらためて客観的に考えたことはなかったが、こうして第三者から言われてみると確かにその通りだと思う。


 のだめのロンドンデビューのときは、俺がアイツを連れて来るための天使だったんじゃないかと思ったものだけど……。


 「運命のお相手なのでしょうね」


 牧師に言われたその一言は、真一の胸の奥、温かく柔かい塊の中にじんわりとしみ込み、優しくひろがっていくのだった。




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