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マエストロの婚礼 39 チャイコフスキー協奏曲第一番。 ドラマティックな旋律が、今、ターニャの暮らすアパルトマンのピアノルームに響く。 めずらしく集中して演奏していたのだが、ぷっつりと糸が切れるように、現実に戻ってきた。 「今、私すっごく集中してなかった? まぁ、ちょっとやる気を出せば、こんなもんよね」 ターニャは今、小さなアマオケだが、ピアコンの依頼をうけ、そのレッスンに励んでいるところだった。 「はぁー、疲れた。なんか甘いものでも食べよおっと」 休憩をとろうとリビングに戻ったところで、携帯が着信を知らせてブルブルと振動する。 「ん?のだめ?」 のだめからの連絡で、ターニャはひさしぶりに学生時代をすごしたアパルトマンにやってきていた。 「のだめー!いるの?」 あいかわらず鍵もしまっていないドアを開け、乱雑なベッドルームを通過してリビングのドアを開ける。 「ひぃーーーーーっ!」 ターニャは目の前に広がる景色に、思わず悲鳴を上げた。 部屋の散かりようはいつものことだが、迎えた家主の振り向きざまの顔が、歌舞伎役者のようだったからだ。 真っ白に塗り込まれた顔、まっすぐに引かれた太い眉。目元にもありえないほどのラインが引かれ、その周りは12ラウンドまで闘いきったボクサーのようにシャドーが塗り込められ、おてもやんのような過剰なまでのチーク、唇は……、もう言葉が出ない。 「あああああんた……、一体なにがあったっていうの? ホラームービーの主役でも決まったの?」 「はぅぅ……、ターニャっ!」 「げっ!抱きつかないでよっ!服が汚れるじゃないっっ!」 ひととおりメイクを落とさせ、蒸らしたタオルで肌をあたためると、もう一度洗顔をさせ、ターニャはほっと一息ついた。 「で?日ごろからメイクもしないあんたが、結婚式という人生の晴れ舞台に、自分でメイクをしようとしてるって?」 「はい、おっしゃるとおりで」 「ばかじゃないの?そんなの人生の1ページに後悔という項目を一つ追加させるだけじゃないの?」 「で、でも……。真一クンは照れ屋さんデスから、結婚式は二人だけでするって決めたんデス。 だからのだめ……メイクも自分でしなくちゃいけなくて……。 ターニャ、一生のお願いデス!のだめにブライダルメイクの指導をしてくだサイ!」 頼む相手を著しく間違えているような気がしないでもないが(爆) 元来、世話焼きで、年下なのに姐御肌、妹のように可愛いのだめのピンチとあっては、放っておけないのがターニャである。 「しょうがないわね……。この借りはいつか返してもらうわよ?」 「大体……花嫁だからって、宝塚歌劇団の舞台に立つわけじゃないんだから、普段と変わったメイクをすることはないのよ? 寧ろ、にじみ出る幸せ感で肌なんか綺麗なんだから、シンプルでいいのよ、わかる?」 「ターニャ……、なぜ宝塚のことを……」 「そういう細部にはこだわらない!とにかく、シンプルに!わかった?」 「はい……」 「のだめって肌綺麗よね……。やっぱり日ごろメイクしてないとか、まったくストレス知らずのその図太い性格とか、チアキに美味しいもの食べさせてもらってるとか、関係してるのかしらねぇ……」 ターニャは、のだめのすっぴんの肌にベースメイクをほどこしながら、呟く。 「図太い性格ってなんデスか?のだめだってストレスくらいありマスよ? まぁ、強いて言えば、夫に愛されてるから?ゲハ」 「あんた、少しは謙遜とかしなさいよね……」 「さ、こんな感じでどう?透明感を出すために、ファンデーションは薄めで、代わりにパールのパウダーを全体にうっすら。これはブラシでさっとなぞればいいから、のだめにでもできるでしょ? 眉毛も整えておいたから、軽くブラウンのシャドーでなぞるだけでいいわ。悔しいけどあんたの眉毛、すごく形がいいから。 それから、チークね。もうね、本当にちょびっとでいいのよ?ついたかな?っていうくらい。 きっと当日は、あんたのことだからチアキの白タキシードに興奮して、ナチュラルに頬が染まってくるはずだから。ちょびっとブラシにつけたら、とんとんっ、って叩いて余分なのを落として、すっとひとなで。ね、わかった?」 「ふぁい……」 「目元なんて、あんたのレベルでなんとかできるものじゃないから、ビューラーでカールして、マスカラだけつけなさい。で、ラインは引かなくていいから、台無しにするだけなんだから、目尻にだけシャドーを。ほんのちょっとでいいのよ? 口紅は、このペンシル使いなさい。不器用なあんたにはこれが一番。そのまま輪郭をなぞって、あとはこのグロスを乗せるだけ。いい?」 「ふぁい……」 「……さっ!できたっ!さっすが私、完璧じゃなーい!」 ターニャから差し出された手鏡で、のだめは自分の顔をのぞきこんでみる。 「ふぉぉぉっ!ナチュラルビューティー!のだめ史上最高綺麗デス!」 「ふふふ……、透明感とツヤ感を出すことで、シンプルなメイクでも特別感があるでしょ?」 「ターニャっ!ありがとデス!」 「わ、わかったから……、く、くるしいってば……」 力いっぱいのだめにハグされて、まんざらでもないターニャであった。 「ねぇねぇ、ドレスは?もう届いてるんでしょ?」 「はいっ!着てみマスか?」 「そうね、せっかくだからドレスとメイクがマッチしてるか見てみたいわね。 でも、その前にこの汚い部屋、なんとかしなさいよ?せっかくのドレスが汚れちゃうじゃない」 「ぎゃぼ……」 ターニャに手伝ってもらい、リビングをざっと片付け、ドレスを汚さないように洗い立てのベッドーシーツ(千秋が洗濯済)を床に敷き、その上にのだめを立たせる。 「さ、服を脱いでちょうだい」 「ぎゃぼっ!」 「あれ?あんたドレスの下に着ける、下着がないわよ?」 「へ?ブラと紐パンならすでに身につけてますケド?」 「ばっかじゃないの?花嫁なんだから、ちゃんとした下着も用意しなくちゃ……。 じゃあ、サムシングフォーなんて用意してないわよね?もちろん……」 「さむしんぐふぉー?ベトナムの麺デスか?」 「はぁ……。花嫁が幸せになるためのおまじないよ。 『なにかひとつ古いもの、なにかひとつ新しいもの、なにかひとつ借りたもの、なにかひとつ青いもの、そして靴の中には6ペンス銀貨を』マザーグースの歌が由来なの。 6ペンスはさておき、サムシングオールドには「祖先から受け継がれてきた財産」、サムシングニューには「これから始まる新たな生活への一歩を踏み出す」、サムシングボロウには「幸せな結婚生活を送っている人の幸せにあやかる」、サムシングブルーには「花嫁の清らかさと誠実な愛情」を表していて、それを結婚式当日に身につけた花嫁は生涯幸せな結婚生活を送ることができると言われているのよ。 下着……はこれから用意するから新しいものはクリアね。青いものは、よく、ガーターベルトを使ったりするわよ。これも一緒に買うとして……。 古いものと借りたものは靴とかアクセサリーとか……。借りるのは結婚生活に成功してる人にしないと……」 「ぎゃぼん……」 とりあえず、のだめにドレスを着せ、ヘッドドレスとグローブもつけさせてみる。 「……」 「……」 運び込んできた、姿見に映し、女ふたり覗き込む。 「い、いいじゃない……」 「この人、のだめデスか?」 「そうよ……、花嫁という名のね」 「むきゃぁーーーっ!ターニャ、写メとってくだサイ!真一クンにこれを送ってメロメロにしマスよ?」 「はぁ……、ダメじゃない、花婿は当日まで花嫁衣装は見ないのがルールよ?」 「へ?そなんデスか?」 「はぁ……あんたって本当に何にも知らないのね。 当日になって、結婚指輪忘れた!とか言わないでよね?」 「がぼん……、結婚指輪、用意してません……」 「はぁぁ……」 ターニャは人事ではあるが、とても人事とは思えない大切な友人とその恋人の結婚式のことを考え、とても何事もなく迎えられるとは思えず、大きなため息をついた。 40へ> |