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マエストロの婚礼 38 「ほわぉ……ご主人は、真一クンの命の恩人サンなんデスね……」 のだめの言葉に、シモーナの夫は先ほどまでの辛く苦悩するような表情から一転、穏やかな微笑みを浮かべる。 「いえ……、私のほうこそ、あの出来事に救われたのですよ。 私は、息子を助けられなかった事がとても大きな心の傷になっていました。 でも、あなたを助けることで、私にできなかった、息子を助けるという疑似体験をさせてもらったのです。 大変不思議な体験でした。 あの時、私の近くに息子の存在を感じました。 自分は大丈夫だから、私にあなたを助けてほしいと優しくささやく息子の声を聞いた気がするのです。 あとから考えれば、あれは神が私に与えてくださった赦しだと思います。 なぜなら、私はあの出来事により、自分の心の傷が癒されたのですから……。 あなたが意識を回復したと伝え聞いたときは、本当に嬉しかったですよ。 そしてあの少年が、このように立派な男性に成長されて、また私の前に現れてくれるなんて……。 生きていくということは辛いことも多いですが、このように突然ご褒美をいただくようなこともあって……、不思議なものですね」 シモーナの夫は、ふいに立ち上がり、リビングの隅のサイドボードの奥から、1つの写真立てを取り出し、二人に差し出す。 「これが私たちの息子です。 シモーナの手前、もう長いこと部屋に飾られることはなかったのですが、ぜひあなた方には見ていただきたい」 色あせた写真には、健康的に日に焼けて眩しいほどの笑顔を浮かべる、可愛らしい4歳くらいの男の子が、若い日のシモーナに抱きかかえられている。 「シモーナの笑顔にそっくりデスね。とっても可愛いデス」 「そうです。あの子はシモーナのひまわりのような笑顔を引き継いでいました。 私の大好きな笑顔を」 のだめの手から返された写真立てを受け取ると、シモーナの夫は愛しそうにその写真を手のひらで撫でる。 「あなたに再会できたことを、きっと息子も喜んでいるはずです。 どうか、私たちの息子の分も幸せで、充実した人生を送ってください……」 「はい、必ず。 あなたと息子さんからいただいた人生を、悔いなく精一杯、隣にいる妻と一緒に生きていきます。 本当にありがとうございました……」 シモーナの夫は、あと一つだけ、これは真一が意識を回復するまでの1週間のことですが……、といって話をした。 「実は、あなたのお父様を、何度かこの街で見かけたのです。 私は、息子が見つからなかった1週間のことを思い出し、お父様の様子からも声をかけることはしませんでしたが。 これはその後、当時の牧師から聞いた話なのですが、お父様はあなたが意識不明だった1週間、毎日あの教会に通い、祈りを捧げていたそうです。 その教会で、あなた方お二人が挙式するなんて、これも神の思し召しでしょうか。人生というのは、本当に不思議ですね……」 「あの……シモーナは、ご主人が幼い頃の夫を助けたことは知らないんデスか?」 「はい。当時はとてもそのような事を話せるような心理状態にはありませんでしたから。 でも……もう話をしてもいいころなのかもしれないですね」 「ぜひそうしてくだサイ!そして、こんな無愛想な夫でよろしければ、お二人の息子だと思っていただいて……痛っ!」 「無愛想は余計なんだよ……。でも、本当にそうしてくだされば……、その息子さんの写真も飾ってあげてください。きっと息子さんも喜ばれると思います」 話が一段落ついたところで、シモーナがタイミングよく帰宅した。 「遅くなってごめんなさいね。帰る途中、聖歌隊のメンバーに会ってしまって。いろいろ話し込んでいたら、すっかり遅くなってしまったわ」 そう言ってシモーナはすぐに仕度するからとキッチンに向かおうとしたが、真一に呼び止められる。 「あの……失礼かもしれませんが、今日は私に料理をさせていただけませんか? お二人にお礼もしたいし、シモーナにはぜひ、ご主人から私の話を聞いてほしいんです。ご主人、よろしいですよね?」 シモーナの夫が妻に向かってうなづく。 「シモーナ、ぜひそうさせてくだサイ!真一クンの料理、とっても美味しいんデスよ?」 シモーナは何が起きているのかよくわからないまま、真一にキッチンで食材や調味料、キッチン用具の場所などを教え、じゃあお任せするけど……本当にいいの?と不思議そうにしている。 「わがままを言ってすみません。でも、ぜひそうさせてください」 真一はそういうと、シモーナの背中を押しリビングまで連れ戻すと、のだめの手を引いてキッチンへ戻り、シモーナ夫妻を二人きりにした。 「さ、お前も手伝えよ」 「ぎゃぼん……」 キッチンで黙々と料理をする。 最初こそ、真一の指示で食材を運んだり、下ごしらえをしたり、鍋を運んだりと手伝っていたのだめだったが、肉を煮込みはじめると、慣れない作業に疲れたのか、キッチンのスツールに腰掛け、壁に頭をもたげて居眠りをしている。 リビングからは、ときどきシモーナのすすり泣く声が聞こえた。 しばらくすると、キッチンにシモーナがやってきた。 だいぶ泣いたのだろう、目は真っ赤に充血して、鼻の頭も赤らんでいる。 でも、なにか吹っ切れたような、すっきりとした笑顔を浮かべている。 「のだめ……、おい起きろよ……」 「ふぉ?あ、シモーナ……」 「ノダメ、悪いけどリビングに行って夫の相手をしてくださる?夫もたまには若い女性のほうが嬉しいでしょう。 シンイチの助手は私がするわ。シンイチ、構わないわね?」 のだめと真一は黙ってうなづくと、のだめはリビングへ向かいキッチンを出た。 「シンイチ……」 シモーナは真一の両手をとり、ぎゅっと握りしめる。 「ハグしてもらってもいいかしら?」 「よろこんで……」 真一は、シモーナを抱きしめる。 シモーナの手が遠慮がちに真一の腰に回されると、やがて彼女の肩が小さく震え出し、顔が埋められた真一の胸が温かく湿り気を帯びる。 キッチンには、煮込み肉の鍋がたてるカタカタという音と、シモーナの小さいすすり泣きが聞こえていた。 シモーナの家での晩餐が終わった。 「本当にシンイチはお料理が上手ね!でも、今度は私の手料理もぜひ食べてもらいたいわ」 「妻の料理もシンイチに劣らず旨いですよ、ぜひまたお二人で遊びに来て下さい」 「ええ、必ず」 「シモーナのお料理、楽しみデス!」 玄関の外まで見送られ、真一はシモーナ夫妻のよく日焼けし美しい皺が刻まれた笑顔を見つめる。 真一はふと何かにつき動かされるように、二人を抱きしめる。 「ありがとう、また来ます。必ず」 夫妻の幸せな笑顔に送られ、真一とのだめはシモーナの家をあとにした。 39>へ |