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マエストロの婚礼 37 週末にのだめがイタリア入りした。 俺はあれから生まれ変わったように新鮮な気持ちで毎日を過ごしている。 だからといって海が好きになったわけではないのだが……。 「むきゃー!千秋先輩、見て見てっ、すっごく綺麗デスよ、海」 「……お前、嫌がらせか?そんな事して楽しいか?あ?」 「い、いやデスねぇ、のだめは純粋に美しいものを愛する夫と分かち合いたいと……」 「俺のことは構わず、お前ひとりで好きなだけ味わえ……」 「がぼん……」 俺たちは一ヶ月ぶりにあの街の教会に向かった。 車が海岸線を通り過ぎても、俺の体調にも感情にも何も変化はない。 ただ、あえて視線を向けるほど好きなものではないということだ。 久しぶりの教会で、牧師に礼拝に通えなかった詫びを言い、問題が解決したことを伝える。 「これで結婚式も大丈夫ですね、本当によかったです。 もし機会があれば今回の出来事について、私にも教えていただけますか?」 「はい、ぜひ」 シモーナや、顔見知りになった信者たちと挨拶を交わし、礼拝に参加するため席についた。 礼拝が終わり、シモーナと一緒に彼女の自宅に向かう。 そこでシモーナの夫から話を聞くことになっているからだ。 「シンイチ、よかったわね。もうすっかり大丈夫そうじゃない? 夫が知ってる事なんて、なにかお役にたつのかしら?」 家に到着してリビングに通されると、まずシモーナにお礼をする。 「あの時はご迷惑をかけて……いろいろお世話になりありがとうございました」 「そんな迷惑だなんて、シンイチにしたって突然のことだったんだから、どうか気にしないでね。 私はクラシックファンとして、NODAMEやシンイチと知り合いになれただけでも光栄なんだから」 そういっていつものような明るい笑顔を残し、夫を呼んでくるからといって部屋を出ていく。 「ほんと、シモーナはイタリアの太陽みたいな女性デスね。のだめもあんなふうに年齢を重ねたいデス……」 しばらくして、シモーナに連れられ、夫がやってきた。 真一とのだめは席から立ちあがり、挨拶をする。 「今日はお忙しいところをお時間をいただき、ありがとうございます」 「大丈夫ですよ、どうぞ座ってください」 そうして、シモーナの夫は自分もリビングのソファーに腰掛けると、シモーナにむかって、悪いが仕事の使いをお願いできないかと頼む。 「え?お客様がいらしてるのに出かけるなんて……」 口ごもるシモーナに夫は真一たちにむかって言う。 「申し訳ないのですが、どうしても急ぐものですから、シモーナが出掛けることを許していただけますか?」 「もちろん、私たちは構いません」 シモーナは不満げだったが、夫からどうしてもと頼まれ、真一とのだめに、すぐに帰ってくるから、今日はぜひ我が家で夕食を食べていってねと言い残し、出かけていった。 シモーナが部屋から出ると、夫は小さく息を吐き出し、安堵の表情をする。 「突然このようなことをして、いささか驚かれたでしょう、すみません。 でも、これからお話しすることは、どうしてもシモーナに聞かせるわけにはいかないものですから……」 そういってシモーナの夫は淋しそうな微笑みを浮かべる。 「どこからお話しすればいいか……。 ちょっと長くなりますが、順を追ってお話していいですか?」 「あ、はい。ご主人がお話ししやすいやり方で、私たちは構いません」 真一とのだめは、シモーナの夫からの意外な言葉に戸惑いながらも、その問いかけに了承し、次の言葉を待った。 「私とシモーナはこの街に25年前に来ました。その前は別の街で、私は漁師をしていました」 「漁師……たこ漁師デスか?」 「……いいえ?たこ漁師がなにか?」 真一は慌てて、気にせずに先を続けてくださいと伝えると、隣ののだめを睨みつけ、小突く。 「私たちは30年前にその街で結婚しました。そして翌年、男の子に恵まれました。一人息子は私たちにとって、宝物でした。 息子は、私の事が大好きで、漁師の仕事が好きで、海が好きで、船が好きでした。 息子は私が漁から帰るころになると、シモーナにせがんで、毎日のように港にやってきては、私の手伝いをするといってついてまわって……。 結果的には仕事の邪魔なんですが、私はそんな息子の様子が可愛くて……、あまり強く怒ることができませんでした。 そんなある日、それは起こりました。 漁から帰ってきた私の元に、真っ青になったシモーナが駆け寄り、息子が見当たらないと言うのです。 妻はキッチンでいつものように料理をしていて、息子は庭先で遊んでいたそうです。 キッチンの窓から、息子の遊んでいる姿が見えるので、妻は安心してキッチンにこもり、料理の合間に息子に目をやっていたそうです。 ところが、次の瞬間、キッチンの窓に目をやると、先ほどまでいたはずのところに息子がいない。家の中に入ったのかと、リビングに声をかけるが返事がない。 それまで、息子が1人きりでどこかに行ってしまうといったことは一度もなかったので、キッチンの窓から死角になるところに移動したのか、どちらにしても家の近くにはいるだろうと思い、念のためシモーナは庭に出てみました。 ところが、庭のどこにも息子は見当たらず、シモーナは慌てて家の近所を探してまわりました。 探しながら、すれ違う住人たちに尋ねて歩き、そのうちの1人から、息子が漁港のほうに向かって1人で歩いていたと聞き、シモーナは慌てて港に向かったのです。 息子はよく、私が漁から帰る時間を時計で確認しては、1時間くらい前から、シモーナのことを急かしていたそうです。妻はそのたび、まだ早いからといって、息子を諭して、家事がひと段落してから息子を連れて漁港に来ていたのですが、息子はそれが少し不満だったようです。 シモーナは、息子が庭先から自分に声を掛けたのに、自分がそれに気付かず、腹を立てて1人で先に行ってしまったのではないかと、自分を責めました。それでも港にたどり着けば、きっと息子に会えるだろうと、その時は思っていたようです。 シモーナの夫は、そこまで一気に話すと、急に席を立ち、 「失礼して、少し早いですがワインを開けてもいいですか? よろしければお二人も」 「はい、お付き合いします」 ワインとグラスを運んでくると、グラスに注ぎ、口に運ぶ。 「こんな話……、なぜするのか不思議に思われるでしょう。 退屈ではないですか?」 「いいえ……、大切なお話なのでしょう。 時間はたっぷりありますから、私たちのことは気にせず、どうぞ先を続けてください」 真一がそう答えると、シモーナの夫はありがとう、と小さく答え、また話だした。 「妻は必死で息子を探しましたが、見つけることができませんでした。 そのうちに私が漁から戻り、事情を聞いて漁師仲間と手分けして息子を探しました。 ……結局息子が見つかったのは1週間後のことで、街ひとつ離れた海岸に打ち上げられたのです」 「大変辛い1週間でした。そして1週間後はもっと辛い日々が待っていました。 シモーナは自分を責め、心神喪失状態となり、私はこのままでは二人ともだめになってしまうと、漁師をやめ、息子との思い出にあふれた街を出ることを決意し、シモーナを連れてこの街にやって来たのです」 「あんなに明るい、ひまわりみたいなシモーナにも、とっても辛いことがあったんデスね……」 のだめは静かに涙を流していた。 「挙式を控えて幸せいっぱいのお二人に、このような話をお聞かせして申し訳ない。 お嬢さん、どうかそんなに泣かないでください。 誰の人生にも、多かれ少なかれ、このような試練はあるのです。 こういった試練を人間は決して無駄にしてはいけないと、私は思っています。 幼くして命を落とした息子のためにも、私はそのように考えているのですよ。 そして、私のこういった経験が生かされて、今目の前にいる、あなたという存在に繋がるのです」 「俺……ですか?」 シモーナの夫は、真一の目を見つめ、慈愛にみちた微笑みを浮かべ、小さくうなづくと、また語りだす。 「私はこの街に移り住んでから、クルーザーを使った観光業を始めました。比較的時間に自由が利くので、シモーナと一緒に過ごす時間がとれると思ったのです。 あの日、あなたとお父様が乗ったクルーザーには、私も乗員として乗っていました。 私は息子を失くしたばかりで、息子と同じくらいの年のあなたとお父様を見て、心から羨ましく思いました。仕事をしながらも、私は気がつくと、あなたとお父様のことを目で追っていたのです。 だから、甲板からお父様とあなたがいなくなったことも、私が一番に気付きました。仲間と手分けしてお二人を探し、まずお父様を、少し遅れてあなたを海から引き上げました。 あなたは呼吸をしておらず、心臓も停止していました。 その瞬間、私にはあなたが自分の息子にしか見えなかった。あのとき、助けることのできなかった息子を、今ここで助けることができると私は自分に思い込ませました。 その後は無我夢中で、人工呼吸と胸骨圧迫を繰り返し、あなたに向かって……、自分の息子に向かってこちら側に帰ってくるように、何度も何度も呼びかけました。 視界の中には、息子を失った頃の私と同じ顔をしたお父様もいました。 私は、あの頃の自分に向かって声をかけるように、お父様に対しても諦めちゃいけない、息子さんを生き返らせるように、声を掛け続けるように言い続けたのです……」 38へ> |