芒果布甸/Mango pudding



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マエストロの婚礼 20






 のだめがパリに帰っていった。


 俺もヴィエラ先生のもとに戻り、オペラの勉強を再開している。


 挙式に向けて、少しずつだが片付けなければならないことを順調にこなせていると思う。


 先日二人で最終確認をした婚姻届とのだめの必要書類を封書にまとめる。


 のだめからは同封して欲しいと母宛の手紙も預かっている。


 何が書かれているのかについては生意気にも内緒だと言いやがった。


 「夫婦の間柄であっても、隠し事は必要なんデスよ?男女の仲なんデスから、適度なラブのスパイスが必要なんデス」


 そういって、少し得意げに顎をあげて、頬を少しピンクに染めて微笑んだのだめは、


 「ね?わかるでショ?スパイスの意味……」


 そういって、俺の腕に両腕を絡めて、その柔らかい身体を押し付けてきて……。


 「おい、おーいっ!シンイチ!」


 「うわっ!お、驚かさないでくださいよ……」


 「なーに言ってんだ!さっきから呼んでるのに気がつかないからだろうがっ!」


 「す、すみません……」


 「ったく、またのだめちゃんの事でも考えてたんだろ?だからウチに呼べばいいのに……」


 「す、すみません。大丈夫ですから……、それよりご用はなんですか?」


 「あ、ああ。コーラスのここなんだけど……」








 ランチの休憩時間に、母宛の封書を投函し、その旨を連絡する。


 「先日はどーも……」


 「なによその挨拶……。ほんと息子なんて面白くもなんともないわね」


 「悪かったな、面白みのない息子で……」


 「まあ、うちにはもうすぐ、可愛いお嫁さんが来てくれるから構わないけど」


 母親への連絡、もう全部のだめに任せちまうかな……。すげー疲れる。


 「あ、さっき郵便で送ったから」


 「なにを?」


 「こ、婚姻届とのだめの必要書類。あと、アイツから母さん宛の手紙、入れてくれって頼まれたやつ」


 「あっそ……で?」


 「……日本で母さんが言ってたとおり、適当にいい日で婚姻届、提出しておいてもらえるかな?」


 「わかったわ。じゃあ次の大安でお天気がよかったら出しておく。出したら連絡するわ」


 「よろしくお願いします……」


 母さんの口から大安とか、お天気とか、そんなフレーズ聞いたこともなかったから、なんだかおかしな感じだ。


 「それより……、パリでの住居はどうするつもりなの?」


 「どうするって?」


 「だって夫婦になるんだから、今までみたいにお互いのアパルトマンを行ったり来たりってわけに行かないでしょ?」


 「そ……そう?」


 「当たり前でしょう!まったくあなたって子は……」


 「はぁぁ……、部屋なんか探す時間ねーよ……」


 「のだめちゃんも忙しいの?」


 「定期的にイタリアにも通わせてるからな……」


 「……それなら一箇所、ちょっとしたアテがあるんだけど……」









 母さんからの俺たちの新居についての提案は、俺にとっては少しハードルが高いというか……、両手をあげて喜べるものではなく……。
 でも、時間的にも経済的にもうまくいけばいいことばかりなので、俺さえ納得して頭を下げればいいことなんだろう。


 一応、のだめにも相談するために連絡をとってみる。


 「アロー!」


 「めずらしいな、一発で連絡つくなんて」


 「今、のだめも電話しようとおもってたとこだったんデスよー!はぅん、愛のテレパシー?」


 「なんだよ?」


 「さっきまでヨーダと会ってたんデス。結婚の報告をしたら、いつでも二人で会いにきなサイって。真一クン、次にパリに戻れるのはいつデスか?」


 「そっか……、実は俺たちの新居絡みの話しなんだけど、ウィーンに行く必要出そうだから、ヴィエラ先生に休みをお願いして、そのときついでにパリに戻ろうかと……。
 来週くらい、お前もウィーン行く時間とれるか?」


 「むきゃ?新居!
 ウィーンってもしかして、『マ』から始まる名前で、真一クンが最近まで世界で一番嫌ってた人に会いにいくとか?」


 「なんでそんな回りくどい言い方……」


 「だ、だ、だって、真一クンって結構デリケートで地雷が多いから、のだめこれでも気つかってるんデスよ……」


 「……わかったから、その『マ』のつく奴のところ。
 行く時間とれるか?」


 「とりますっ、とりますっ!何としてでも行きマス!」









 嫌なことを後回しにするのは悪い癖だとわかっていても、仕事があるとか、時間がないとか、ついつい言い訳をつくって後回しにしてしまう。


 一日のおわりに、いよいよやることがなくなって、やらざるを得なくなる。


 「真一だけど……」


 「真一って、ち…「千秋真一だけど」」


 「なんだよ、カリカリすんなよ?父と息子のお約束ってやつだろ?」


 なんだよそれ。ああ、いらいらする……。


 「……この間言ってた、のだめの事なんだけど、来週あたり、時間がとれれば行きたいんだけど……」


 「なんだ、本気で来る気だったのか」


 「おい……」


 「嘘だよ、ほんと冗談通じないよな、お前。
 いいよ、週末でなければ」


 「……わかった。じゃあ、二人で行くんで……」


 「お祝いはいいんだよな?」


 ぴっ!


 面白くもねー冗談ばっかり言ってんじゃねぇ!


 「はぁ……」


 父親と息子の関係を再構築し始めた二人。
 なんだかこのイラつきは、出会った頃のアイツに抱いていたものと似ているような、似ていないような……。


 とにかく、父との絡みに慣れるのは、まだまだ時間がかかりそうであった。








 週末がやってきた。


 ヴィエラ先生から車を借りて、慣れてきた道を教会へ向かう。


 今回はのだめが来られないので、一人で礼拝に出席した。


 少しずつだが、シモーナ以外の信者たちとも顔見知りになり、言葉を交わす。


 「シンイチ!この前のNODAMEのオルガン、とっても素敵だったわ!
 またぜひお願いしたいわ!」


 「ありがとうございます」


 アイツはどこでもすぐに人気者になる。
 自分は少し無愛想で、人見知りするところがあるから、そんなところでもアイツに助けられていると感じる。


 音楽家なのだから、音楽にひたむきに、一生懸命やっていけば夢はかなうと信じているけれど、やはり人気商売でもあるから、きっとこれからも俺はいろいろと助けられるんだろうなぁと思う。


 「あ、シンイチってば、今、のだめのこと考えてたでしょ?」


 「なっ!そ、そんなことないです……。あんまりからかわないでくださいよ……」


 今日はぜひ一緒にと、シモーナに誘われて家族席に同席させてもらった。


 シモーナの夫は観光業なので、日曜日であってもどうしても断れない仕事が入ってしまうことがあるらしく、今日は礼拝は欠席らしい。


 「牧師様にはナイショよ?日曜日は仕事しちゃいけないんだから」


 シモーナはその明るく日に焼けた顔に、いたずらっ子のような表情を浮かべた。









 礼拝が終わり、車に向かっていると、シモーナから途中まで乗せてくれないかと頼まれる。


 「いいですよ。どこに行けばいいんですか?」


 「夫の仕事場の近くまで。シンイチの帰り道の途中で下ろしてくれれば……。
 時間はとらせないわ」


 「そんなこと、気にしていただかなくても。
 ご主人の仕事場までお送りしますよ。お世話になっているお礼です」


 街を抜け、海岸線の見える通りに出る。


 真一はさりげなくダッシュボードからサングラスを取り出しかける。


 「そこよ、マリーナが見えるでしょ?あそこが夫の職場なの」









 げ……。


 桟橋が1本だけの小さなマリーナだが、十数船のヨットやクルーザーが停留している。


 板張りの桟橋から続く、海上に張り出したデッキには、落ち着いた雰囲気のテーブルとパラソルが並び、その正面には可愛らしいクラブハウスが建っていた。


 真一はできることならここで車を止め、シモーナを置き去りにしたい気持ちであったが、自分で言い出した手前、シモーナの言うとおりマリーナに車を入れ、駐車スペースに停車させた。


 バクバクバク……。


 心臓が、脈が、ありえないほど早鐘のように打ち、呼吸は苦しく、視界がグラグラと揺れている。


 "どうしちゃったんだ、俺……"


 日頃からもちろん海は苦手だし、近寄らないようにしているのでそのせいかも知れないが、それだけとは思えないほどの動揺が真一を襲う。


 そんな状態ではあったが、なんとか先に車外に出るとシモーナの席へ回りドアを開ける。


 「ありがとう」


 シモーナが礼を言い、車外へ出る。


 真一は再びドアを閉め、挨拶をしたらここから一分でも早く立ち去ろうと体に命令する。


 「ほら、シンイチ、あそこの桟橋に留まっているのが夫のクルーザーよ」


 「え?」


真一は反射的にシモーナの指差す方角に目をやる。


 海岸線、マリーナ、桟橋、桟橋に停留しているクルーザー。


 "ハヤク ココカラ ニゲテ……"


 「え……」


 クラッ。


 視界が反転し、音は無重力状態のようにこぽこぽと鈍り、自分を驚きの表情で見つめ、何か叫んでいるシモーナの姿を最後に、真一の視界は暗転した。


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