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マエストロの婚礼 19 00:10発ローマ行きのCX293便は、予定より10分遅れで香港国際空港を飛び立った。 なんとかギリギリで乗り込めば、機内には出発が遅れたことにつき説明とお詫びのアナウンスが流れる。 「はぁ……、飛行機遅らせるなんて最悪だな」 「ゴメンナサイ……」 「でも無事に乗れてよかった……」 「むきゃ?真一クンが飛行機に乗れてよかったって言うなんて、のだめのおかげデスね?」 「……調子にのんなよ?」 「ぎゃぼ……」 14時間ほどかけて、イタリアのフィウミチーノ空港に到着した。 これでしばらくは長距離のフライトはしなくても済む……、はずだ。 のだめは今夜イタリアに一泊だけして、明日一緒に教会の日曜礼拝に参加してからパリに戻る予定。 ヴィエラ先生からはホテルなんて遠慮しないで、のだめも客室を使って構わないとは言われているが……。 「なんなら真一の部屋でも別に構わないんだぞ?」 って、あのにやけ顔は100%からかわれに行くようなもんだろ……。 のだめと一緒にホテルで一泊して、明日の予定が終わってから帰ることにする。 入国手続きを済ませ、バゲージを受け取ると、早朝の空港でカフェに入り、軽く朝食をとる。 「そうだ……。よっくんからお前の公的書類、受け取ってきたか?」 「はい、貰いまシタ」 「じゃあ……、黒木君とターニャにサインしてもらった婚姻届と一緒に送って……、 母さんにいい日取りで提出してもらって……、 それで構わないか?」 「むきゃっ……、は、はいっ!」 「本当は何か、ふたりの記念日的な日に提出したほうがいいのか?」 「き、記念日的な日といいマスと?」 「えっ!それはその……」 改まって考えてみると、二人の記念日なんていわれて、ぱっと日付が言えるものが思いつかない。 「……」 「じゃあ、これから記念日をつくりまショウ!」 「え?」 「入籍の日とか、挙式の日とか、しゅ、出産の日とか……」 「出産の日は、すなわち子供の誕生日だろ……」 「あ、そうでシタ、ゲハ」 二人でもう一度、婚姻届に漏れや間違いがないか確認する。 「はうん、妻になる人、野田恵……」 大学時代も散々言われ続けてきた『妻』が現実になるのか……。 峰じゃねーけど、やっぱりのだめさんはすごいな……。 なんだか不思議な気分で、そのなんの飾り気もない婚姻届を長いこと二人で見つめていた。 翌日、ホテルをチェックアウトし、レンタカーを借りると、教会へ向かう。 礼拝の前にアラン牧師と面談をすることになっているので、いつもより早めに到着した。 まだ信者たちのいない教会の本堂に進むと、祭壇の前にひざまづき、祈りを捧げている牧師がいた。 「ほわぉ……、素敵な方デスね……」 まるでそれはフレスコ画から抜け出て来たような幻想的で美しい光景だった。 俺たちは思わず息を飲み、その場から動くことができない。 気配に気づいたのだろう、牧師が顔を上げ、こちらを振り向いた。 「Buon giorno……」 「これはすみません、だいぶお待ちになりましたか?」 「いいえ、今来たばかりです」 「ではさっそくですが、はじめましょう」 祭壇わきの扉から奥に進み、教会の本堂とは違い、簡素でこじんまりとした部屋に通される。 木製のシンプルなテーブルと椅子に向かい合い、面談が始まった。 のだめはイタリア語がわからないので、牧師との会話はすべて真一が通訳する。 牧師との面談といっても、それぞれの生い立ちや家族のこと、二人がお互いをどう思っているのかなどを聞かれただけで、なんだか拍子抜けしてしまう。 牧師はつねに一言質問を言うと、あとは穏やかな笑顔を浮かべ、静かにうなづいて相槌を打つだけで、意見を言うわけでも、こちらの答えに対してさらに突っ込んだ質問をするわけでもなく、あっさりとしたものであった。 「ありがとうございました。 お二人のお人となりについてはよくわかりました。 あとは通える範囲で結構ですので、礼拝に参加していただければ結構です」 「はい、わかりました」 牧師は穏やかな微笑みを二人に向けると、静かに席を立つ。 自分たちも慌てて席をたち、部屋をあとにした。 本堂に戻り、一番後ろの隅に着席した。 牧師が教会の扉をあけ、信者たちを迎えながら挨拶を交わしているのを眺め、礼拝が始まるのを待つ。 本堂が信者たちで埋まり、礼拝が始まる。 賛美歌が歌われ、説教が始まると、のだめのために牧師の説教を小声で教えてやる。 でも、宗教的な日本語なんてよく知らないから、立派な説教も簡単な言葉にしてしまうとなんだか素っ気ない。 それでも、本堂に響き渡るアラン牧師の美しいバリトンをバックに聞くと稚拙な日本語訳もそれなりに聞こえるようで、のだめはうっとりと恍惚の表情をうかべ、 「はうん……、素敵なお話デスね……」 などとすっかり心酔しているようだ。 そんなのだめの様子が、俺ははっきり言って面白くない。 礼拝が終りに近づくと、アラン牧師がのだめのことを、信者たちに紹介する。 そして俺に向かって、 「前回のチアキのように、NODAMEさんからお話していただくことはできますか?」 と、訊ねられる。 のだめに、先日のことを説明すると、のだめはきょろきょろと本堂の中を見渡し言った。 「真一クン、あのオルガン弾いてもいいか、聞いてもらえマスか?」 「え?お前、オルガンなんか弾けるのかよ……」 「大丈夫デスよ、手鍵盤だけで弾けば。 ペダルの使い方も、さっきオルガン奏者の方の使い方、なんとなく見てましたカラ……」 「でも……」 いくらプロのピアニストだからといって、こんな神聖な礼拝の席で、信者でもないのにオルガンをいきなり弾くなんて失礼だろ……。 俺が迷っていると、アラン牧師がどうしたのかと訊ねてくる。 「あの……、コイツがオルガンを弾きたいと言っているのですが……」 「まぁ!それは素晴らしいわっ!」 聞き覚えのあるソプラノのよく通る声。NODAMEファンでもあるシモーナだ。 信者席がざわつく。アラン牧師はのだめを見つめ、その真剣な表情に感じ取るものがあった様子で、右手をのだめに差し出す。 「ぜひ、お願いします」 聴こえてきたのは、バッハ。自身もルター派のプロテスタント信者であり、教会音楽を愛し、音楽家としてその仕事に生涯を捧げたといってもよいであろう。 BWV734 コラール前奏曲「今ぞ喜べ、愛するキリスト者の仲間たち」 のだめの奏でるト長調の明るい調べ。 音遊びをしているように、楽しげに次々とあふれ出す音の粒。 "アイツに合ってるな、これ……。ピアノで弾いても面白いかも" 教会でのオルガンの響きに夢中になっているのだろう。 いつものように口を尖らせて、瞼を閉じ、楽しそうに微笑んでいる。 音楽を愛するプロテスタント派の教会に、のだめの楽しげなオルガンが響きわたっていた。 20へ> |