芒果布甸/Mango pudding



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マエストロの婚礼 16






 長時間のフライトとか、裏軒への寄り道とか、久しぶりに訪れた実家での衝撃の事実とか、いろんなものが重なって朝遅くまで熟睡してしまった。


 うつぶせで、ねぼけ眼なまま、ベッドの左側のスペースを手で探るが、そこには暖かな温もりも柔らかな塊もなく、少しひんやりとしたシーツはそこにいた主が抜け出してから、しばらく経っていることを伝えていた。


 「のだめ?」


 寝室の扉を開けるがすでに部屋はからっぽでかすかに階下からピアノの音が聞こえる。


 「さっそく弾かされてるのか」


 部屋着に着替え、サロンへと向かう。


 「おはよう、ぐっすり眠れたみたいね?」


 「……おかげさまで」


 意味深な笑顔を向ける母親の顔は極力見ないように努める。


 「のだめちゃんのピアノ、また一段と色鮮やかになって。
 今までのふんわりとしたのだめちゃんらしさに、なんだか落ち着きというか、迫力が増したような気がするわ。プロポーズ効果かしらね」


 「……」








 サロンでのプチ演奏会が終わり、ダイニングでブランチをとりながら、母から事務処理についての報告を受ける。


 「入籍のために必要な公的書類はすべて揃えてあるし、婚姻届けも取り寄せてあるわよ」


 「えっ!」


 「えって真一、入籍はどうするつもりだったの?挙式すればいいってもんじゃないのよ?あなたたちは日本人なんだから」


 「……」


 「事実婚ってのもあるかもしれないけど、のだめちゃんのこととか考えたら、ちゃんと籍入れてちょうだいね」


 「そ、そうだよな……」


 まったくこの子ってば結構気が回らないっていうかなんていうか……と、母にぼやかれる。
 最近、母親からこの手の呆れ顔をよくされるような気がする。


 「とにかく、のだめちゃんの公的書類も取り寄せてもらってあなたたちがサインさえしておいてくれれば、提出は 日取りのいい日にこっちでやっておいたっていいわよ?」


 「先輩、日本のことは征子ママにお任せしまショウか?のだめたちもそうそう日本に帰れるわけじゃないですし……」


 「そうだな……」


 「証人はどうするの?」


 「あ……」









 こんなこと、電話でお願いすることじゃないけど、とりあえず次にいつ帰国できるかわかんないし、駄目元で電話してみる。


 「千秋かっ!親父から聞いたぞ、いよいよのだめと結婚するのか!」


 「あ、ああ……うん」


 「ついにかぁー!のだめってすげーなぁ。ドリームズカムトゥルー!」


 馬鹿が電話口で叫びまくってる。
 俺はこいつに電話してしまったことを早くも後悔していた。


 でも、こいつ以外にこんなこと頼める相手、思いつかねーし……。


 「あのさ……、明日には日本出るんだけど今日これからちょっと時間とれねーか?」


 「そうだなぁ……悪いんだけど、明後日舞台が本番で、マジで時間ねーんだよ。
 ちょっとだけでも時間とれれば会いたいのはやまやま なんだけど……」


 「いや、こっちが急に頼んだんだし。また、ゆっくり時間がとれるときにでも連絡するよ」


 ちなみに清良は日本か?と尋ねるが、清良も演奏活動でヨーロッパらしい。


 証人、できれば峰と清良に頼みたかったんだが……。


  もう一人の心あたりにも連絡してみる。


 「きゃー、千秋様!どうなさったんですの?」


 「えーと、今、帰国中なんだ」


 「まぁっ!お仕事かなんかですの?」


 「いや、えーと……」


 はっきり切り出せない俺に、のだめが電話を奪い取る。


 「真澄ちゃーん、のだめデス!おひさしぶりデス!」


 「なによ、このひょっとこ娘!私と千秋様の邪魔する気?」


 「邪魔だなんて、まったくそんなつもりないデスよ?だって、のだめはもうすぐ、千秋恵になるんデスからー!


 それでデスね、ぜひ真澄ちゃんに、のだめと千秋先輩の愛の軌跡とディスティニーラブの証人として婚 姻届にサインしてもらえないかと思ってー」


 能天気なのだめからの衝撃的な告白を受けて、受話器越しに黒オーラが立ち上がるのを感じる。


 「……千秋様に代わってちょうだい」


 「ぎゃぼん……。呪いのリスト入り、再び……」


 真澄に凄まれ、のだめはしぶしぶ電話を真一に戻す。


 「……千秋様、真澄は今日まで、千秋様の幸福だけを思って生きて参りました。


 千秋様の人生にあんな変態でものだめが必要だということは十分理解しておりますし、仕方のないことだと思っております。


 でも、婚姻届に……、し、証人としてサインをすることだけは、お許しいただけませんか?


 ま、真澄だって、恋する乙女なんですのよ?


 好きな男が一人の女(しかも変態)の所有物になる……、
 そんな悲しい出来事の後押しをしろとおっしゃいますの?」


 うっ!うわわぁーーーーーん!殺すわーーー!電話口で号泣する真澄。


 「あ、あのごめん、もういいから……。
 じゃ、またな」


 「待って!あの、千秋様……」


 真澄は思いつめた様子であったが男らしく(乙女らしく)覚悟を決めると、静かに語りだした。


 「私も千秋様を心から愛した乙女として、こんな終わり方 、嫌なんです。
 証人に困ってらっしゃるんでしょ?それなら……」









 大川に向かう途中、東京駅近くのホテルで、証人をお願いするふたりと待ち合わせした。


 「千秋君!」


 「黒木君、助かったよ……」


 「ひさしぶりね、千秋」


 「ターニャ、久しぶり。今日はありがとう」


 「ほんと、黒木君とターニャがそろって日本にいただなんて、飛んで火に入る夏のかぶとむしデスよ!」


 「お前それ、使い方とか、いろいろ間違ってる……」


 たまたま日本滞在中だった二人に、急に無理を言って時間をつくってもらった。


 「でもふたりとも、どうして揃って日本に?」


 「えっ!いや、それはその……。いろいろと……」


 なぜか頬を赤らめ、うつむいてモジモジする黒木君とターニャ。


 ここで勘のよい人物であれば、しかるべきツッコミなどをするところであるが、あいにく真一はコッチ方面の勘の鈍さはぴか一。のだめに至っては、気にかけてすらいない(千秋以外に勘を働かせない女)。


 「そ、そっか(聞いておいてスルー)。とにかく本当に助かったよ。
 黒木君とターニャだったら、俺たちの証人になってもらうのにぴったりだし」


 「でも、ターニャは外国人デスよ?日本の婚姻届の証人になってもらえるんデスか?」


 「大丈夫なのよ、成人であれば外国人でも」


 「へぇー、ターニャ詳しいな」


 「う、煩いわね、早くしなさいよ、時間ないんでしょ?あんたたち」


 なんだかやけに落ち着いたターニャに促され、ホテルのロビーの低めのガラステーブルに婚姻届を広げると、黒木君とターニャはやや窮屈そうに証人欄にサインしてくれた。


 「これで大丈夫かな?」


 「そうね」


 「ほわぉ……。なんだか黒木君とターニャ、夫婦のような落ち着きと阿吽の呼吸デスね?」


 「「えっ!」」


 「ま、のだめと千秋先輩の域に達するにはまだまだデスけどね。いたっ!先輩痛いデスー!」


 「黒木君もターニャも突然こんなことお願いして、急だったのに本当にありがとう」


 「どういたしまして。僕らにとっても千秋君と恵ちゃんは、大事なカップルだからね。
 自分たちののことのようにうれしいよ」


 そういって、黒木君とターニャは穏やかな微笑みを浮かべ、お互いを見つめあい、そっとテーブルの下で手を握り合った。



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