芒果布甸/Mango pudding



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ボーイ/ミーツ/ラッキー☆ガール 62






 今日から本格的にAオケとの練習が始まる。


 その前に一人で練習をしておこうと思っていた。


 レッスン室が並ぶ廊下を進む真一の耳に、あるピアノの音色が届く。


 まさか……もしかして?


 小走りになる足でその音色の聞こえる部屋の前にたどり着くと、真一は目を閉じたまま、もう一度耳を傾ける。


 やっぱりこれは……アイツの音だ。


 楽しげに、鍵盤の上を跳ねる指先からは、真一が愛してやまない色鮮やかな音色が響いている。


 あまり長い間聴いてなかったから感じなくなっていたけど、自分はのだめのピアノを渇望していたのだと気づいた。


 渇ききった砂地に水が染み込むように、のだめのピアノが真一の心を潤していく。


 真一は、はやる気持ちを押さえるように静かにドアを開けると、そっと部屋の中に身体を滑り込ませた。


 目の前には、まぼろしではない、本物ののだめ。


 ドキドキする……。


 より近くで耳を傾けるのだめのピアノは、明らかに進化していた。


 最後に聴いてから、そんなに時間は経っていないのに、環境を与えられるだけでこれだけ変わるのか……。


 身体を少し揺らしながら楽しげにピアノを弾くのだめの後姿を見つめる。


 早く顔が見たい。声が聞きたい。


 その身体に触れて、抱きしめたい。


 まだ真一の存在に気付いていない様子ののだめに、真一は背後からしのび足で近づくと、そっと背中から抱きしめた。


 「ぎゃぼっ!」


 柔かい髪に顔を埋めたまま、真一はそっとささやく。


 「……久しぶりの再会なんだから、もっと情緒出せ」


 「千秋センパイ……」


 緩められた両腕の中で、のだめが身体を反転させる。


 自分を見つめるのだめの瞳が、驚きから喜びに変わり、あっという間にうるんでひとすじの涙がこぼれた。


 真一の長い指が追いかけるように頬を滑って、華奢な顎を掴むとくちびるが近づいてくる。


 のだめはそっと瞳を閉じた。









 待ち望んでいた、柔かく甘いくちびる。


 ゆっくりと、じらすように自分のくちびるを近づけていた刹那、真一は背後に人の気配を感じ、視線だけ向けてみる。


 「ひぃぃっ!」


 「ドウゾ、ワタシ遠慮しないで、恋人同士の再会の儀式、続けてクダサイ」


 「つ、続けられるかっっ!」


 真一は飛び跳ねるようにのだめから身体を離すと、羞恥に顔を逸らした。


 「プププ、やっぱりムッツリという噂は本物ナノデスネ?」


 「ミルヒーっ!」


 のだめは立ち上がると、シュトレーゼマンに抱きつく。


 「ノダメチャン、元気そうデスネ」


 「はいっ! やっと日本に帰ってこられまシタからね。
 そだっ、先輩、裏軒連れて行ってくだサイよ! マーボ!」


 「そうだな、峰もお前に会いたいだろうし……」


 はしゃぐのだめに真一は眩しそうに目を細め笑う。


 そして、そんな二人を眺めるシュトレーゼマンの表情は優しい。


 「まぁまぁ、裏軒は逃げまセンヨ。
 ノダメチャン、その前に留学の成果、聞かせてクダサイ?」


 そういってシュトレーゼマンは不服そうなのだめの肩を強引に抱き、ホールへと向かった。









 「これは一体……」


 ホールにはすでにAオケメンバーが集まり、準備が整っていた。


 「チアキ、言ったデショ? アナタは失格の破門にしたはずデス」


 「……はぁぁっっ?!」


 「さ、ノダメチャン、言っておいたように練習しておいてクレマシタカ?」


 「あんまり練習する時間なかったんデスけど……先輩のピアノ、よく聴いてたし、なんとか……」


 「それってどういう……」


 青ざめる真一にはおかまいなしに、シュトレーゼマンはのだめを舞台中央に置かれたピアノに座らせ、オケメンバーに向けて宣言する。


 「Aオケのミナサン、彼女が桃ケ丘のリーサル・ウェポン、ノダメチャンデス。
 すごいピアノを弾きますから、ミナサンも負けないように頑張ってクダサイ!」


 ざわつくオケメンバーをシュトレーゼマンは鋭くひとにらみすると、一瞬にして空気が引き締まった。


 「ノダメチャン、いつでもドウゾ?」


 アインザッツを交わし、のだめのピアノによるラフマニノフが始まった。









 真一はホール中央の座席に、ひとり座っていた。


 のだめが協奏曲? それもいきなりオケと?


 そんなことができるのか?


 突然の展開に驚くばかりだが、その気持ちとはうらはらにワクワクと期待と興奮に胸が高まる。


 静かに鐘の音が響き、曲が始まる。


 静かに嘆くような弦楽器の調べに続いて、のだめのピアノが美しく響き渡る。


 巨匠が振っているからだろうけど……それだけじゃない、オケの音をちゃんと聴けている。


 確かに強引なところもあるけど……。


 なんなんだよ、お前は。


 真一はのだめのピアノに強く心を揺さぶられるのを感じ、ただ身を任せてみる。


 目を閉じれば、真一の脳裏にはヨーロッパの壮麗なホールのステージで、オーケストラを背にドレスを纏ったのだめがピアノを演奏する情景が浮かんだ。


 指揮台に立つのは……やはりシュトレーゼマンだろうか?


 え……松田?


 真一の妄想の中で、観客からのスタンディングオベーションを受けて、驚きの表情でおじきをするのだめを、松田が舞台中央にエスコートする。


 さらに大きな喝采をうける松田とのだめ。


 のだめの表情が、笑顔に変わる。


 そののだめを愛しそうに笑顔で見つめる松田。


 むかつく。


 胃がキリキリと痛んで、冷や汗が背筋を伝っていく。


 嫌だ……あの場所に、のだめの隣にふさわしいのはアイツじゃない!


 「……のだめ、すげえな」


 不快な妄想から我に返ると、真一の後ろの列に峰が立っていた。


 「あ、ああ……」


 膝の上でしっかりと握り締められた両手を見れば、血の気を失って微かに震えている。


 「なぁ、峰……」


 前を向いたまま、小さな声で真一が呼びかける。


 「ん? 何?」


 「俺……ヨーロッパ行きたい」


 「千秋……」


 驚いて龍太郎が見つめた真一の肩は、小さく震えていた。








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