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ボーイ/ミーツ/ラッキー☆ガール 60 「いいかっ?! 航空事故に遭遇する確率は統計的にはすっげーレアなんだぞ? 例えば飛行機に毎日乗っていたとしてもだな、事故に遭う確率っていうのは438年に一度なんだよっ?!」 「そのレアケースに俺は当たったわけだが……」 「っっ! だ、だからっ、一度遭遇したってことは、あと438年間は遭わねえってことだろーがっ! 千秋、何歳まで生きる気なんだよ」 「まぁ……そこそこ天寿をまっとうできれば……」 「大体お前は、物事の悪いほう、悪いほうを見がちなんだよー。事故に遭ったけど無事だった、そんなふうにポジティブに考えろっ、ポジティブにっっ!」 先日、酔った勢いでぽろっと自分のウィークポイントを峰なんかにうっかりばらしてしまった。 それ以来、この馬鹿は俺の長年のトラウマをなんとかしようと必死だ。 「はぁ……」 「それに死亡率ってことで言えばだな、一億人キロあたりの死亡乗客数は0.04人で、これは東京パリ間を12万5000回往復して死亡事故に遭う確率なんだよっ! わかるかっ?! それだけ飛行機ってのは安心、安全な乗り物なんだぞっ?!」 「……峰、うるさい。もう眠いから帰るわ……」 「お、おいっ、千秋待てっっ! 俺はお前の飛行機恐怖症を克服してやろうと思ってだな……」 ぴしゃりっ! 「ふぅぅ……」 わかってる理屈では。 わざわざ調べてくれたのか、峰の話していることは柄にもなくある程度データに基づいていて、いちいち尤もで、飛行機が安全性の高い乗り物であること、事故にあう確率も低いこと、そして俺は不幸にも事故にあったけど怪我一つなく無事であったこと……。 無事……だった? 俺は何となくその言葉に違和感を感じつつ、あの峰から語られる正論にイラついていた。 ……眠れない。 ベッドサイドのデジタルはAM02:17の表示。 頭の中でざっと計算してパリはPM18:17。 のだめ、何してるだろうか? 今はニナもオフの時期で、毎日ピアノのレッスンはあるものの、街歩きをしてニナのショッピングに付き合ったり、ちょっとしたコンサートに連れて行ってもらったりしているらしい。 会いたい。 気がつけば、携帯の発信ボタンを押していた。 パリに到着してから一週間ほどした頃、ニナに買ってもらったと嬉しそうに電話してきた携帯。 RRR……。 「……もしもし?千秋先輩?」 早めのコールで繋がり、少し驚いた。 「今、大丈夫か?」 「大丈夫デスよ? っていうか、日本は今、真夜中じゃないデスか? 先輩こそ、眠くないデスか?」 受話器を通して、国際電話のせいか、少しざわついたようなノイズにフィルターのかかったアイツの声がもどかしい。 「東京は深夜回っても三十度越えの猛暑で、湿気が多くてとてもじゃねーけど眠れねーよ」 「ひゃー、東京は暑いんデスねぇ」 「今日は? 何してた?」 「午前中、ピアノのレッスンをしていただいて、午後はニナのお買い物に……」 「ぷっ、またか」 「シーズンに入ったらお買い物はできないからって。それに今、セール中だから、燃えてマスよ? ニナ先生は」 「そっか。お疲れ」 「先輩は? 今日は何してまシタか?」 「うん……毎日代り映えしねーよ。一日学校でピアノのレッスンをして、夕方からは裏軒で峰と飲んでた」 「はぅん……裏軒マーボ、je t'aime!」 「フランス語は……どう?」 「日常会話はなんとか……。でも、街中でニナを待っているときにやたらとパリジャンに声をかけられるんデスけど、そういう時のフランス語は何を言われているのかさっぱり……」 ナンパか……さすがに日常会話じゃ対応できねーだろうな。 「気をつけろよ? パリの男は節操ねーからな?」 「はい?」 「……あと一週間くらいか?」 「……そデスかね」 「もう帰りの便、決まったか?」 「……まだデス」 「……大丈夫なのかよ? そんな悠長なことで」 「……ニナ先生にお任せしてマスので」 最近のだめは、帰国の話題を振ると、言葉少なくなる気がしていた。 俺はそんな根拠のない事に、いらいらを募らせている。 だから柄にもなく、そんな言葉が口をついて出てきたに違いない。 「早くお前に逢いたい……」 きっと俺は、こんな言葉を期待していたのだろう。 のだめもデス∞早く先輩に逢いたいデス でも、のだめの口から、期待した言葉が出ることはなくて。 「ぎゃはぁ!照れマスね……先輩ってばらしく≠ネいデスよ?」 「……悪いか?」 「……悪くないデス」 その時、のだめの背後から、呼びかける声が聞こえてきた。 「……Oui! 先輩、ごめんなさい。のだめ、そろそろ出かけなくちゃデス」 「わかった。じゃあまた……」 「はい、電話ありがとうございまシタ……」 あっけなく切断された通話。 俺はあっという間に、湿気た東京の深夜の暗闇に、たった一人で放り出される。 寝苦しい、ひとりぼっちの夜。 俺はその夜、久しぶりに事故の夢を見た。 胴体着陸の衝撃の中で、俺の足元をコロコロと小さな瓶が転がる。 俺はなぜか、その瓶をどうしても取らなければならないと思っていて、必死で手を伸ばす。 あとちょっとで手が届く瞬間、隣に座っていた母親が俺の体を引き戻す。 その瞬間、コロコロと俺の手を掠めて転がっていった瓶。 だめだ! 慌てて顔を上げた俺の目の前には、のだめが立っていた。 気がつけば俺は、現在の俺自身に変わっていて、のだめは飛行機に乗るためのタラップの手摺に手をかけ、今まさに足を踏み出そうとしている。 「のだめっ!」 俺の呼びかけに振り返ったのだめは、悲しいのか嬉しいのかわからないような複雑な微笑を浮かべている。 さ・よ・な・ら 聞き取れない声は、くちびるの動きで俺に別れを告げているようだ。 思わず走り出そうとした俺の腰を、何者かの手が力強く掴んで放さない。 「放せっ!」 「千秋、どうするんだ? 恵ちゃんに駆け寄って、すがって、置いていくなって懇願するのか?」 俺の背後から、松田の声が低く響いた。 「みっともねーな? お前のエゴで、恵ちゃんの未来を潰すのか?」 「ち、違う、俺は……」 のだめに視線を移すと、その表情から微笑みは消え、俺を哀れむような瞳で悲しそうに見つめている。 違う。俺は、のだめにそんな顔をさせたいんじゃない。 「千秋、お前少しは必死になってみろよ? みっともなくてもいいじゃねーか? 本当に欲しいものを欲しがってみろよ!」 タラップの下に目を向ければ、峰と真澄がうっとおしいくらい必死な表情で、俺を手招きしている。 「チアキ、時間切れデス。 ここまで意気地のない男だとは思いマセンデシタ。 まったく、残念な男デスネ……」 いつの間にか、のだめの傍らには、シュトレーゼマンが優雅な微笑みを浮かべ、のだめの肩を抱いている。 のだめがシュトレーゼマンにエスコートされて、俺たちに背を向ける。 タラップを一歩一歩、ゆっくりとした足取りで上って行くのだめを、俺は一歩も動けないまま、見送るしかなくて。 飛行機の中に吸い込まれる寸前、のだめは一瞬振り返ると、俺をしっかりと見つめて、何か言いたそうに少しくちびるを開いたが、言葉はなく悲しそうに瞳を伏せた。 「のだめ、行くな……俺を置いていかないでくれ……」 のだめの姿がすっかり消えた後、俺はひとりぼっちで滑走路を見つめ、その場に崩れ落ちる。 後から後から止め処なく涙が溢れてきて止まらない。 無力感と大きな悲しみに襲われて、恥ずかしいくらいに声を上げて泣いた。 寝覚めは最悪だったが、一人ジメジメした室内にいたくなくて、いつものように学校のレッスン室に向かう。 それでもさすがにピアノを弾く気になれず、いつもより早い時間に切り上げ、学校の廊下を歩いていると、突然背後から声を掛けられた。 「よ、千秋じゃねーか」 「松田……何してんだ?」 音楽祭以来、ひさしぶりの再会だった。 「うん……手続きしに来た」 「手続き?」 「まぁあれだ……もうダラダラやってても仕方ねーからさ、思い切ってスパっとな」 「……は? なんの事だ?」 幸久は言葉どおり、すっきりとした快晴の空のような笑顔で言った。 「退学手続きしてきた。 俺、恵ちゃんと一緒にパリに留学することにしたから」 「え……」 晴れ晴れとした幸久の笑顔とは正反対の、悪夢が続いているような苦しげな表情で、真一は言葉を失った。 61へ> |