芒果布甸/Mango pudding



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ボーイ/ミーツ/ラッキー☆ガール 57






 音楽祭二日目。


 旅行気分の遊びモードから、一気に音楽漬けの本気モードに切り替わった。


 シュトレーゼマンから夜這い禁止!≠ネどとふざけ半分に釘を指されなくても、真一は音楽祭が終わるまでのだめに会うつもりはなかった。


 だが、そんな決意は必要のないくらい、昼間は余計な事など考える暇もなく忙しく、とても充実している。


 ひょんなことから学生選抜オケを指揮するチャンスを得て、学生オケとはいえSオケとは比べものにならないほどレベルの高い演奏に体が喜びに震えた。


 夢中でオケの演奏を楽しんで、夜はジジイのお守りから開放されて一人部屋に戻れば、それでも思い浮かべる事は一つ。


 声が聞きたいけど……ベッドサイドのデジタル時計を確認すれば、電話をするにはいささか遅い時間になっている。


 それでも少しの期待を込めて、真一は恋人に短いメールを送ってみた。


 マスタークラスはどう?
 俺は今日、選抜メンバーのオケを振ることができた。
 すげーレベルが高くて興奮した。日本の学生もすてたもんじゃねーな?
 明日はジジイが振ると思うけど……それはそれですごく楽しみだ。
 じゃ、お前も頑張れよ。
 真一


 メールを送信して数分。


 諦めてシャワーでも浴びようと思っていたところに、着信が入る。


 「もしもし?」


 「もしもし、のだめデス。先輩、楽しそうデスね?」


 「うん。お前は?」


 「のだめ、センセが外国人だなんて知らなくて。最初は怖くてビビりまくりでシタけど、なんとか頑張りまシタ。
 もー、頭真っ白でわけわかんなかったデスよー!」


 「そっか。他のヤツは?」


 「皆サン、さすがにお上手デス。松田先輩の演奏が目立たないくらいに。
 でも、きょうは一通り課題曲を弾かされただけで、本格的なレッスンは明日からデス」


 「そっか。折角のチャンスだから、楽しめよ?」


 「……努力はしマスけど、楽しむってとこまではちょっと……」


 「まぁそうかもな。……なんかあったら連絡しろよ?」


 「はーい。電話しても大丈夫デスか?」


 「うん。出られないときは出ないし。気にしないで電話してこい」


 「はい、ありがとデス!」


 「うん……俺も、お前の声聞けて……ちょっと疲れ飛んだ……って、もう遅いから寝ろっ。じゃあなっ!」


 ぴっ。


 真一は最後、一気にまくし立てると、一方的に通話を切る。


 「ぎゃぼっ、先輩が何か甘めの台詞を吐いたような気が……」


 のだめは携帯から聞こえてきた真一の最後の台詞に驚かせれ、しばらく通話を切ることも忘れ、携帯を見つめ続けていた。









 日常から遠く離れた場所、一瞬の気の緩みも許されないほど緊張感の漂う空間で、レベルの高い音楽の洪水を一身に受けている。


 少し前までの自分だったら、恐怖のあまり逃げ出すしかなかったと思う。


 今だって怖いけど……でも不思議と逃げ出そうとは思わない。


 まるで戦いを挑むような表情で渾身の演奏をするクラスメートたちの音を聴きながら、理由のわからない興奮がのだめの身体と心を震わせる。


 この人たちの中で、私も私だけの音を響かせたい。


 生まれて初めて、のだめは他人に自分のピアノを聴かせたいと思った。


 「恵ちゃん、君の番だよ?」


 小声で背後から、幸久がのだめに教えてくれる。


 のだめは譜面を胸の前に大事そうに抱き抱えると、ピアノに向かった。









 二日酔いから立ち直ったシュトレーゼマンは……素晴らしかった。


 この人の音楽を身近で聞くことができるのは、とても幸せなことだ。


 真一は指揮台に立つ、シュトレーゼマンの背中を見つめる。


 すぐ目の前にあるのに、とても手の届かない高み。


 日ごろの奇人変人ぶりなど微塵も見せない、繊細かつ全てを知り尽くしたような大胆さも兼ね備えた大きな背中。


 音楽の神様、どうかもうしばらく。


 あなたの与えた試練の代償として、この幸せを私にも感じさせてください。


 祈るような気持ちで、指揮台の上の師匠を見つめると、真一はそっと目を閉じ、心地よい音楽に身をゆだねた。









 明日は最終日という夜。


 シュトレーゼマンのはしゃぎっぷりといったら。


 明日は本番があるんだから、セーブしろっつてんのに。


 足元が覚束ないほどアルコールを摂取した決して小柄ではない身体を抱えて、真一はやや乱暴にシュトレーゼマンをホテルの部屋に運んだ。


 「チアキはワタシを一体なんだと思ってるんデスカ?」


 「ただの酔っ払いのエロジジイだろ? 今は……」


 「……ったく、可愛くない弟子デス。
 ワタシは日本を出る前に、チアキとの思い出を作ろうと……」


 「……こんな思い出、いらねーっつーの」


 ベッドの上で、幸せそうに眠るシュトレーゼマンに、つぶやく。


 疲れてドロのような身体を引きずって、ベッドに倒れこんだ。


 明日で最後……。明日が終わったら、またアイツに逢える


 着信を知らせる携帯にも気付かず、真一は意識を手放した。









 最終日、シュトレーゼマン指揮による特別編成オケの演奏会が成功のうちに、音楽祭は幕を閉じた。


 演奏会終了後のパーティー会場で、真一はのだめの姿を探す。


 きっと峰たちと一緒にいるんだろうから……真澄のもじゃもじゃ頭を探して……。


 「シンイチ!」


 「え?」


 真一は突然背後から呼び止められ振り返る。


 「ニナ……」


 軽くビズで挨拶を交わすと、ニナは真一を久しぶりに会った親戚の子供かのように、優しい眼差しで見つめる。


 「シンイチ久しぶり!
 音楽祭、いろいろお世話になったみたいね?」


 「いや、師匠の尻ぬぐいというか、お守りというか……。
 でも、俺もすっごくいい経験させてもらったから……感謝してる」


 「まぁ……シンイチがこんなに素直だなんて……一体何があったの?」


 ニナは心底不思議そうに、真一の顔を覗き込む。


 「なっ! べ、別に何かなんて……」


 「ふーん、まぁいいわ。それより、紹介したい人がいるの」


 そういって、ニナは後ろを振り返り、目当ての人物を探しだすと手招きをする。


 「真一、こちら今回マスタークラスで教えた生徒なんだけど、私のそばで勉強させようと思ってるの。メグミ、こちら私の古い友人の息子で……」


 「あ、えと、紹介はいらないデス」


 「は? え? ああ! あなたたち、同じ桃ケ丘音大だったわね?
 知り合いなの」


 「はい……ピアノ科の後輩です……」


 「そう! それなら話が早いわね?
 メグミ、シンイチは海外での生活が長かったから、いろいろ詳しいから。パリのことなんか、教えてもらうといいわ。
 シンイチ、そういうことだからよろしくね?」


 「え? そういうことって……」


 「メグミをパリに連れていくわ。少ししたら演奏旅行も始まるから、同行すれば勉強になるし……」


 楽しそうにこれからの計画を話すニナの声がだんだん小さくなって、まるで音量だけ下げたTVの映像を眺めているようだ。


 俺だけがこのパーティー会場の中で、ひとり違う世界に迷い込んでしまったように。


 ニナの半歩後ろで、のだめは俯いたまま、俺の顔を見ることもしない。


 いつかは……と覚悟していたことで、しかもニナの弟子として演奏旅行に同行させてもらえるなんて光栄なことだし、のだめのピアノにとってとても喜ばしいことだけど……。


 まさか、こんな形で聞かされるなんて想像もしていなかったから、俺はかなり動揺してしまった。


 真一の様子に気づいたニナが、おしゃべりを中断して声をかける。


 「どうしたの? シンイチ、顔色が悪いわ」


 「う、うん……このところ師匠のお守りで寝不足続きだから……」


 「そう……ここはもういいでしょう。部屋で休んできたら?
 メグミも紹介したい人には一通り紹介できたし、今日はもう休んでいいわ。
 よかったら真一のこと、部屋まで送ってくれないかしら?」


 「お、俺は大丈夫ですよ……」


 そう答えながらも、本心は早くのだめと二人きりになって、詳しい話が聞きたかった。


 でもその反面、まだ事実を受け入れる余裕がなく、このまま逃げ出したい気持ちもある。


 「わかりまシタ。先輩、お部屋まで送りマス」


 「メグミ、お願いね」


 ニナの立ち去ったあと、俺たちはしばらく言葉もなく、ただ立ち尽くしていた。  







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