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ボーイ/ミーツ/ラッキー☆ガール 52 のだめは朝、普段よりも早起きすると、昨夜のうちに用意しておいた手紙を手に学校に向かった。 ひとけのないレッスン室に入ると、ピアノの上に手紙を置き、逃げるように立ち去る。 一時しのぎとはわかっていても、今は幸久から、距離をおかないといけない気がして。 自分の部屋に戻り玄関の鍵を開けているところに、真一の部屋のドアが開いた。 「……あれ? もう帰ってきたのか?」 「えと……今日は一人で練習したかったので、松田先輩とのレッスンは断ってきまシタ」 「ふうーん……じゃあ、うちで練習するか?」 「え……先輩はピアノ使わないんデスか?」 「うん。アレはちょっと寝かせておこうと思って。あ、でも一人で練習したいんじゃ、俺がいたらダメか……」 「イエ……せっかくだから、オジャマしちゃおうカナ?」 「うん、お前さえよければ。俺も聴きたいし」 幸久とは距離を置く反面、真一とはできるだけ一緒にいたほうがいい。 理由はわからないけど、本能でそんなふうに感じる。 本当は自分の部屋で一人で弾き込むつもりだったケド、今日一日だけ……いいデスよね? 真一はコーヒーを手に、ソファーでのだめのピアノに耳を傾ける。 以前のような感じるまま、自由に自分らしく弾くだけじゃなくて、作曲家の意思にも耳を傾けるようになったよな。 まだこれから、いろんな作曲家の曲を勉強して、技術的にも学ぶことは山ほどあるだろうけど……。 真一の視線の先、ピアノを弾くのだめは、数ヶ月前とは違ったとても真剣な表情で……。 やっぱりのだめにはピアニストを目指してほしいと思う。 でもそれは……海外に出ることの出来ない自分から、いつかのだめが離れていってしまう事を意味する。 のだめが、俺の前からいなくなる。 もし、その時が来たら……俺はその現実を、受け入れられるのだろうか? 真一は、音色鮮やかなのだめのピアノにゾクゾクするような震えを感じながら、答えが見つからないまま、結論の出ることのない思考にストップをかけた。 「せんぱい、おなか空きまシタ……」 どっぷり音楽の世界に浸かって、別世界にトリップしていたのだめが、こちら側の世界に帰ってきた。 ったく……すごいピアノを弾いていたと思ったら、途端にコレだ。 色気より食い気だよな。 苦笑いをしてソファーから立ち上がると、真一は空腹なのだめのために手早く昼食を準備する。 二人で昼食をとりながら、真一が思い出したように尋ねる。 「そういえば……昨日の課外授業って、どこに行ったのか聞いてなかったな?」 「へ?」 「昨日。松田にどこに連れて行かれたんだよ?」 「……えと……」 食事をとる手が止まり、のだめは俯いて黙り込む。 「……なんだよ? そんなに言いづらいことか?」 「イッ、イエッ?!……そ、そんなことないデスよ? お祭りに行こうって言われて……」 「お祭り?」 「はい。曲の解釈の話になって、夏まつりのイメージだっていう話をしたら、じゃあお祭りに行こうって……」 「ふうーん……」 なんだか面白くない。 付き合ってる彼氏とだってお祭りになんか行ったことねーくせに。 まぁ、それはすなわち、俺が連れていってないだけの事なんだけど……。 女子がそういうイベント的なものに一緒に行くのは、恋人とか好きなヤツだろ? 真一は、のだめと幸久がお祭りを楽しむ光景を想像して、にわかに苛立ちを覚える。 そして、先日から考えていたことを、思わず口にしていた。 「なぁ……、長野に行くときのことなんだけど」 「ふぉ?」 「前のりして……一泊しない?」 「え……」 真一は恥ずかしそうにのだめから視線を逸らしたまま告げると、答えも聞かずにそそくさと立ち上がり、食事の片付けを始める。 えと……それは、のだめと千秋先輩が……お泊りするってこと? わざわざ二人で行って、別々の部屋に泊まるってことは……ないデスよね? 「そ、それはつまりその……のだめと千秋先輩が、一晩同じ部屋で過ごすっていうことデスか?」 キッチンで片付けをする真一の背中に、のだめが問いかける。 すこしの間があって、真一は振り返るとのだめを真っすぐに見つめ、答えた。 「……そう。一晩、一緒。二人だけで」 野田恵、二十歳の夏。 思えばここまで、長い道のりでシタ。 早熟な友人たちは、どんどんと先に進んで、高校卒業までにロストヴァージンを済ませていた。 大学に入っても、まわりは一通りの経験を済ませている子ばかりで、まきちゃんやレイナちゃんにも、のだめはお子様だからと馬鹿にされて。 でもいいんデス。 のだめがヴァージンなのは、まだ運命の人に出会っていなかったから。 本当に好きな人に、心から求められて結ばれたい。 これまでの二十年間は、その人に会うまでに必要な時間だったんデス。 千秋先輩に出会って、大好きになって、先輩ものだめと同じ気持ちだってわかって。 音楽については厳しいけど、とっても優しくてのだめを大切にしてくれる人。 のだめのヴァージンを捧げる人は、千秋先輩をおいて、他にはいまセン! むんっ、決めまシタ! のだめのヴァージン、この夏、びしっと捨ててやるってんデスよ! 「……の、のだめ? おい、どうした? 大丈夫か?」 のだめが長い回想で意識を飛ばしている間、真一はすでに片付けを終わらせていて、不安げにのだめの顔を覗き込んでいた。 「な、なんでもないデス。のだめ、ビビってなんかないデスよ? 本当のことを言えば、千秋先輩がなかなか押し倒してくれないから、のだめから襲ってやろうかと思ってたところでシタ。 い、いいデスね? ここは男らしく、夏のバカンス一泊旅行で一発決めちゃってくだサイ!」 「オイ……なんだそのオヤジばりのダジャレは……」 のだめは顔を真っ赤にして、鼻息も荒く一気に捲し立てる。 「ふふん。千秋先輩、覚悟してくだサイ? のだめの身体で骨抜きにしてあげマスよ」 「どこの花魁だ……。大体、お前キャラ変わってねーか?」 バカなヤツ。 キスするだけだって、まだ余裕もないくせに。 強がっているのだめが可愛くて、真一はちょっとからかってみたくなる。 「なんなら、今、押し倒してやってもいいけど?」 「ぎゃ、ぎゃぼっ!」 真一は、のだめに覆いかぶさると、首筋に鼻先を押し付け、すーっと息を吹きかけながら、胸元までなぞってみる。 「……どうする?」 胸元に押し付けていた顔をあげ見上げてみると、のだめは茹でタコのように真っ赤になって、今にも泣きそうな瞳で見つめていた。 「え、えと……」 「ぷっ!」 「せ、先輩ひどい……」 「……ごめん。でも、お前が俺を煽るようなこと言うから」 「……そでシタね……」 「今日はキスで勘弁してやる。 その先は……楽しみにしてるから」 「……のだめも楽しみデス」 「うん……期待に応えてやる」 二人は、くすくすと笑いあい、どちらからともなく顔を寄せると、長くて甘いキスを交わす。 二人の関係がまた一歩、近づいて深まっていく、そんな幸せな予感を感じながら。 翌日、のだめはいつも通りに目を覚ますと学校に向かう。 昨日は幸久のことを避けてしまったけど、二日も続けるわけにはいかない。 千秋先輩が海外に行けるようになるために、のだめは頑張らないといけないんデス。 まずは長野の音楽祭でのマスタークラス。 奏でたいイメージを掴んで、自分なりに形にできたとは思ってるけど……。 松田先輩が連れていってくれた夏まつり。 その経験は演奏の中にも表れていると思うから、松田先輩にもぜひ聴いてほしい。 かちゃ。 レッスンに入る。 まだ幸久の姿はない。 幸久に会うのに少し緊張していたから、何だかほっとした。 楽譜を広げると、のだめは確認するように弾きはじめる。 一音も欠けることなく、作曲家の意思に忠実に指を動かしながら、自分なりの世界観を表現していく。 その作業は、何も考えることなく自由に弾いていた頃とは違って、最後まで決して息は抜けないけれど、とても充実感があって今までとは違う楽しさがある。 千秋先輩に出会わなければ、この楽しさを知らずにいたかもしれない。 そんなふうに感じると、のだめのピアノはさらにキラキラと輝きを増してゆく。 「……」 レッスン室の前では、幸久がドアに手を掛けたまま、のだめのピアノに聴き入っていた。 前回聴いたよりも、さらに磨きのかかった演奏にそっと微笑むと、そのまま部屋には入らずに立ち去る。 その胸に一つの決意を抱いて。 53へ> |