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ボーイ/ミーツ/ラッキー☆ガール 39 「お待ちどうさま!」 秋生がテーブルに料理を運んできた。 「お、旨そうじゃん?」 「旨そう、じゃなくて本当に旨いんだよ! じゃあのだめちゃん、楽しんでいってね。また後で」 「後で……は、なくていーし」 「お前ほんと生意気だな!」 緊張していたのだめも、秋生の明るい雰囲気にほぐされたようで、思わずふきだした。 「なんだよ?」 「ぷぷぷ……先輩と秋生サン、兄弟みたいデスね?」 「うん。オーナーは俺にとって……兄貴みたいなもんかな?」 真一はのだめに断りを入れると、秋生の運んできた生牡蠣にレモンを絞る。 「夏牡蛎だな、でかくて旨そう。さ、食べよう。腹ぺこぺこだよ」 そういって、真一は生牡蠣を殻のまま左手に取ると口許に運び、顎を上げ、右手の人差し指で身を口許にずらすと、一気に飲み込むようにすすった。 殻の上の汁も一滴も残すまいと、高く上まであげて振りながら、舌先を出して受け止めている。 生牡蠣の柔らかい身をすする、形のよい薄い唇。 美しい長い指先が滑らかに動く様子、顎を上げ、無防備にさらけ出された首筋には、真一が飲み込むたびに喉仏が動くのがわかって……のだめはそんな真一の動き一つひとつに色気を感じてドキドキしてしまう。 先ほどから喉が渇いているのは感じているけど、食欲があまり湧いてこない。 「のだめ食べねーの? ほら?」 真一はのだめに牡蛎を一つとると、フォークで身を剥がし、殻を受け皿にして、のだめの口許に運ぶ。 「あ、ありがとデス」 のだめの小さな唇がぎこちなく開き、桃色の舌が少し突き出されたところに、自分の差し出した牡蛎が飲み込まれていく様をぼんやりと眺めながら、真一はごくりと唾を飲み込んだ。 え、エロいな、これはなかなか……。 調子に乗って、もう一つのだめの口に運ぼうとしたところ、突然飛び出してきた別の唇に横取りされる。 「なっ!」 「旨い! オーナー! 俺にも生牡蠣ちょうだい?」 生牡蠣を横取りした男は、二人に断りもなくテーブルにつくと、いたずらっこのような笑顔で真一を見つめた。 「よう、久しぶりだな?」 「お久しぶりです。演奏いいんですか?」 「いーの。ちょっと疲れたから、真一にバトンタッチな?」 男は先ほどまでステージでピアノを演奏していたプレイヤーだと気づく。 「俺、今日は……一人じゃないし」 「知ってるよ? だから邪魔しにきたんじゃねーか。お前が俺たちの演奏してる前で女の子とデートなんて百万年早えーんだよ!」 男はのだめのほうに向き直ると、笑顔で自己紹介した。 「俺、真一のピアノの師匠で、サム。のだめちゃんって言うんでしょ? 可愛いね、よろしく」 笑顔で手を差し出す男は、サムという英語名からは想像もつかないようなあっさりした日本男児顔で、のだめは戸惑う。 「サイトウ ツトム、略してサムなんだよ」 「ふお!」 真一の説明で英語名の理由がわかって、無邪気に笑うのだめ。 真一ははせっかくのデートを邪魔され、のだめが自分以外の男に笑顔を向けるのが面白くない。 「真一、なに拗ねてんだよ? こんな店に連れてきた、自分が悪いんだろ?」 「……別に」 「ねぇのだめちゃん、真一の演奏、聞きたくない?」 「ふぉ? 千秋先輩、ジャズピアノ弾くんデスか?」 「音高のころは、よくステージに上がってたよな?」 「でも、もう一年はやってないし……」 「のだめ、先輩のジャズピアノ、聴きたいデス!」 「ほら? 彼女にいいとこ見せろよー!」 「なっ……」 のだめの、期待にキラキラと輝く瞳と、昼間の松田の凄い演奏への対抗心もあったかもしれない、真一は気がつけばステージに向かうため、立ち上がっていた。 「のだめ、一人で大丈夫か?」 「大丈夫だよー! 俺がナイトになってやるから」 「むきゃ? お願いしマス!」 真一はジャケットを脱ぎ、黒いドレスシャツの袖を捲くると、ピアノチェアを調節して、腰掛ける。 久しぶりだけど、音高時代に何度も上がったステージと、一緒に演奏した仲間への安心感から、真一はあっというまに以前の感覚を取り戻した。 付き合いの長い、解りあってる仲間とのインタープレイに夢中になる。 やっぱり音楽は楽しい! 真一は高揚感に胸が満たされて、頬がほころんでくるのを感じていた。 「ふお……先輩やりマスね? すっごく楽しそう!」 「だろ? クラシックなんてやめて、ジャズに転向すりゃいいんだよ。それにしても真一のやつ……のだめちゃん、アイツになにしたの?」 「へ? なんのことデスか?」 「アイツの演奏、なんだか変わったよ。艶が出たというか……」 「今演奏してるのは、なんていう曲デスか?」 「ビル・エヴァンスのワルツ・フォー・デビイ」 「ほわぉ……和音の響きがとても綺麗デス……」 「のだめちゃんもピアノ?」 「はい。あ、でものだめのピアノは千秋先輩みたいに上手じゃないデスよ? いつもデタラメだって怒られてマスから」 「デタラメいいじゃん? のだめちゃんも今度ジャズ、やってごらんよ」 「ふぉ……トリオ演奏って楽しそうデスね?」 「うん、楽しいよ? 音楽で会話するんだ。 相手の奏でたいリズムやメロディーを予想してかけあう。それがバッチリ当たった時の楽しさとか、相手が解ってくれて、どんどん相乗効果で凄い演奏になるときとか、全く予想のつかないところで探り合うのがね。まぁ、失敗したときは最悪だけどね」 そういってサムが笑うと、細い目が一本の線になった。 ワルツ・フォー・デビイの演奏が終わる。 戻ってくると思っていた真一は、よほど気持ちよかったのだろう、右手の人差し指を立て、もう一曲とメンバーにお願いしている。 「もう一曲やるみたいだな」 演奏が始まった。 「ふぉ? 今度はなんの曲デスか?」 「くっくっくっ……真一のやつ、恋してるみたいだな?」 「え?」 「この曲のタイトルはね、WHEN I FALL IN LOVEっていうの」 スローなメロディーに合わせて、サムが口ずさむ。 Is when I fall in love with you…… あなたと私が恋に落ちるとき。 のだめは、真一の奏でる甘いメロディーに耳を傾けながら、思い出していた。 初めて出会ったレッスン室。 窓辺に立ち、瞳を閉じて、柔らかな微笑を浮かべる真一。 一緒に作り上げた即興の曲。 見上げると、恥ずかしそうに微笑んでいた真一。 初めての連弾。 楽譜の中に込められた作曲家の意思を説きながら、指揮者になりたいのだと語った真一。 定期演奏会でSオケを指揮する、真一の背中。 中庭のベンチでうたたねをする真一の頬に、キスをした日。 小さなステージの上で、楽しそうにピアノを奏でる真一。 のだめはもうとっくに落ちてマスよ? 演奏を終え、店内の常連客たちに拍手で見送られ、真一がテーブルに戻ってきた。 「お疲れ。どうだった? 久しぶりのステージは?」 秋生の持ってきたビールのおかわりを一気に飲み干し、真一は満面の笑顔を浮かべる。 「最高!」 そんな真一を、のだめはまぶしそうに見つめている。 「どうだった?」 「……素敵でシタ。あの……」 何か言いかけたのだめの言葉をさえぎるように、ステージに戻ったサムが真一!≠ニ大声で呼びかける。 真一がステージに目をやると、サムは楽しそうに笑って、 「お前のための曲を弾いてやるから、心して聴いてろよ!」 と、真一を指差す。 演奏が始まる。 スローで、甘く切ないメロディ。 何かを悟ったように、真一はくやしそうな表情を浮かべ、頭を抱えた。 「くそっ……」 「先輩? どしたんデスか?」 「うーん……」 しばらく頭をかかえて唸っていた真一だったが、いつのまにか新しいものに替えられたグラスを煽って、観念したようにのだめにつぶやく。 「いま演奏してる曲……My Foolish Heartっていうんだ。 お前に用心しろって言うンだろ? どうせ……」 それとも……俺に言ってるのか? ああ、そうだよ! とっくに始まってる。 抑えようとしたって、抑えきれるもんじゃない。 真一は、薄暗い店内で、自分の横に座り、少しアルコールに頬を染めたのだめを見つめる。 これが恋なんだろ? 自分以外の誰かが、大事で、愛しくて仕方ない。 その誰かを思い浮かべただけで、心はふわふわと舞い上がる。 私の愚かな心…… 「のだめ……」 真一は、その美しい指先をのだめの頬に伸ばすと、ガラス玉のような薄茶色の瞳を真っ直ぐに見つめる。 「好きだよ……」 驚いたように、少し見開いたのだめの瞳が、ゆっくりと閉じてゆく。 なぜなら、真一の右手がのだめの左肩を抱き、真一の顔がのだめに近づいてゆくから。 薄暗いジャズクラブの片隅。 真一とのだめは優しいキスを交わす。 スローなトリオジャズのメロディーが心地よく流れる中、二人の胸は甘くて切ない思いで溢れていた。 40へ> ↓ビル・エヴァンスのMy Foolish Heartです。 ↓同じくビル・エヴァンスのワルツ・フォー・デビィ。この曲、大好き! |