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ボーイ/ミーツ/ラッキー☆ガール 02 彼女が悲愴を弾き始めた。 第1楽章。ハ短調の悲しい調べがゆっくりと奏でられる。 嘆きのような囁きのあと、曲は徐々にダイナミックに動機が展開されてゆく。 すごい。 難しいことを、難なくこなしている。 それにしても……なんて軽やかに、楽しそうに弾くのだろう?グラーヴェにはなっていないけど……迫力がある。 短調、長調、ころころと転調してゆく様を、音遊びをするように楽しげに奏でる。 曲の解釈は間違っている気がするけど……。 やっぱり……すごく上手い! 第2楽章。あの有名なアダージョ。 アダージョというよりは……アンダンテに近いけど。 そしてカンタービレ。 彼女が弾くと……ほんとうに歌っているようだ。 第3楽章。速いっ! 鍵盤の上を、長い指が踊るように跳ねる。 それにしてもなんだ?あの口……。 でも……すごくいい……。 今の自分に悲愴はぴったりの曲だから、どっぷりとはまってやろうと思っていたのに……。 すっかり彼女の"悲惨"に引き込まれてしまった。 やばい……ドキドキする……。 「ふぅぅ……」 のだめは弾き終わると、満足気に息を吐き出した。 最初は……知らない人に聞かれていると思うと、少し緊張しちゃったけど……。 でも、いつも1人で弾いているから、聞いていてくれる人がいると思うと、その緊張感が適度な刺激をもたらして……。 すっごく楽しかったデス! こういうのもたまには……いいデスね? 足をペダルからはずして投げ出し、両手を軽く振って脱力させると、ピアノチェアに後手をついて、天井を見上げた。 「あの……」 窓辺で黙って聞いていた真一が口を開いた。 「はい……」 「いつもこの時間は……レッスン室で弾いてるの?」 「そデスね……部屋が空いていれば、大体は……」 「……また、聴きにきてもいいかな?」 「え?」 のだめが真一を不思議そうな表情で見つめている。 「……だめかな?」 「……だめじゃないデスけど……」 のだめは困ったようにぎこちない微笑みを浮かべたあと、思い切って真一に尋ねる。 「千秋先輩……でシタよね? えと……どうしてのだめのピアノを聴きたいのか……聞いてもいいデスか?」 「えっ!?」 今度は真一が困る番だった。 同じ学校の後輩とはいえ、初対面の人間に思い切ったことを言い出してしまった。 後悔はしてないが、何故かと理由を聞かれて、今の自分の気持ちを素直に話すのは、とても勇気のいることで。 それでも真一は、今日はじめて出会った魅力的なピアノの誘惑には勝てず、観念して告白する。 「君……野田さん……だっけ? 野田さんのピアノ……すごく素敵だと思って。 ちょっと変わってるし、楽譜どおりじゃないし、音は飛ばすし、作曲もしてるけど……」 「ぎゃぼ……」 「でも……すごくいい。 他人のピアノを聴いて、こんなに興奮したのは初めてなんだ。 だからまた……聴かせて欲しいと思ったんだけど……。 だめかな?」 それはまるで……愛の告白にも似た……。 真一は、言葉にしてしまったその後、すぐにその事実に気付き、かぁーっと顔を真っ赤に染め、羞恥に顔を逸らしてしまった。 告白を受けたのだめはといえば……、そんな風にはまったく感じていないようで、"むきゃ……"と小さく声を漏らしたのち、満面の笑みをその顔に浮かべた。 「あ、ありがとございマス! そんなふうに、ピアノを褒めてもらったことってないカラ……、すっごく嬉しいデス!」 「え?」 少しはおさまったとはいえ、まだ赤みのさす顔を真一はのだめに向けた。 視界にとらえたのだめは、まるで花が咲いたような無邪気な微笑みを浮かべ、瞳はキラキラと輝いている。 かぁー……。 真一はその笑顔を見た瞬間、もう一度、体の奥底から熱いものが湧き上がってくるのを感じ、頬を赤く染めた。 がちゃ。 レッスン室のドアを開け、真一は"どうぞ"とのだめに先を譲る。 「あ、ありがとございマス……」 真一もドアから廊下に出ると、ふたりは廊下で向かいあい、もじもじと俯いたまま、お互いの様子を伺っている。 沈黙に耐えられなくなった、のだめが口を開く。 「あの……今日はのだめのピアノを褒めていただいて、ありがとうございまシタ」 「いや、こちらこそ……。 突然、押しかけたのに、部屋に入れてくれて……。 君のピアノが聴けてよかった。 こちらこそ、ありがとう」 「じゃあ、また……レッスン室で」 「え?また聴きにきてもいいの?」 「はい……のだめなんかのピアノでよければ」 その言葉は、真一の胸を温かくしていく。 「じゃあ今度は……リクエストしてもいいかな?」 「むきゃ……のだめが弾ける曲であれば……。 あんまりレパートリーないんデスけど……」 「じゃあ、楽譜持ってきてもいいかな?」 「え? あ、はい……」 はっ!今、彼女のテンション、下がった?! 嬉しくて、ついついリクエストなんて言い出してしまったけど、初めて会ったばかりなのに、がっつきすぎたか? 「ああっ!ご、ごめん! 調子にのって、いろいろ頼みすぎだよな? また、君の弾きたい曲でいいから……聴かせてもらっていいかな?」 「……はい」 「じ、じゃ、俺はここで……」 真一は、さっと右手をあげて軽く手を振ると、のだめの前から立ち去る。 のだめは真一に軽く会釈して答えると、レッスン室の前で真一を見送った。 学校からの帰り道。 のだめは鍵盤柄のレッスンバッグをぶんぶんと振りながら、鼻歌を歌っている。 今日はちょっとびっくりしたケド……のだめのピアノを褒めてもらいまシタ! あんなふうに褒めてもらうのって……ちょっと恥ずかしいデスけど、やっぱり嬉しいデスね? 明日も千秋先輩は来るカナ? そうしたら……なんの曲を弾こう? 真一は部屋に戻って、さっそく悲愴を弾いていた。 のだめの悲愴を聴いていて、胸が高まって、じっとしていられなくて……。 もし自分だったら、ここはこう弾くだろうとか、頭の中が音楽で溢れて。 野田恵か……。 明日も聴けるかな? 真一は、ほんの数時間前までのネガティブな感情などすっかりわすれ、ただただ美しいピアノソナタの世界に没頭していった。 03へ> 悲愴のシーンを書くにあたって、いろいろな方の悲愴を拝聴いたしました。 有名な曲なので動画サイトにはたくさんアップされていて、中にはまだ小学生なのに、ぐっとくるような演奏をされる方もいてとても驚きました。 のだめちゃんならどんな風に弾くのかなぁーと想像するのは、とても楽しかったです。 "ゴミの中で美しく響くピアノソナタ"という、原作のインパクトのあるシーンではなく、もし、真一クンが普通にのだめちゃんの演奏を初めて聞いたとしたら……彩子さんの歌声を素直に褒めていたように、のだめちゃんのことも素直に褒めてくれたのではないかと思い、やたらと素直な真一クンにしてみました。 さて、ここまでが序曲です。 今後、のだめちゃんの変態ぶりがどのように暴かれていくのか、真一クンがどんな反応をしていくのか……わくわく(笑) ★個人的にはケンプさんのこの第2楽章がとても好きです。 |