芒果布甸/Mango pudding



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 ローストビーフ・サンドウィッチ






 閑散とした土曜日のオフィス。


 自主的な休日出勤にも関わらず、彩子は午前中を休憩なしでガッツリ仕事をこなし、キッチリ時計の針が十二時を回ったところで席を立つと、最上階に向かう。


 最上階といっても、たかだか六階建ての低層ビル。


 山手線の内側とはいえ、文教地区に位置するこのオフィスは、都内とは思えない静かさで、緑に囲まれている。


 最上階の社員食堂からデッキに出ると、彩子は梅雨の晴れ間の眩しい日差しを右手で遮り、眉をひそめて空を見上げた。


 湿気が少なく、デッキに吹き付ける初夏の風は爽やかで、彩子はやっと小さく微笑みを浮かべる。


 デッキを奥まで進むと、人目を避けるように置かれたベンチに腰を下ろした。


 今朝、自宅で手作りしてきたランチを広げる。


 この春から一人暮らしを始めた。


 世間知らずのお嬢サマなどと陰では言われていたかもしれないが、彩子は意外とハウスキーピングは得意で、食事も基本、自炊である。


 自家製のローストビーフと野菜で作ったシンプルなサンドウィッチ。


 うん、美味しい。


 午前中いっぱい頑張った自分へのご褒美。


 そんな小さな幸せに頬をほころばせている自分も嫌いじゃないと、彩子はそんな自分の様子を斜めに見下ろしながら苦笑いした。









 桃ヶ丘を卒業し、しばらく親の臑をかじりながら声楽を続けていた。


 三年間は必死でやった。


 国内外、レッスンをしながらオーディションを受けまくり、どんな端役も精一杯やった。


 そして、歌を諦めた。


 遠目から見ていた同級生たちは、彩子の引き際をあっさりしたもの≠ニ判断したらしい。


 いざとなれば、実家があるものね


 言いたい者には言わせておけばいい。


 音楽を愛するがゆえ、幼い頃から一流の音楽に触れ、育ってきたからこそわかる、自分の限界。


 歌で生きていくことを諦めた上は、彩子はそれ以上音楽にしがみつかなかった。


 父親の経営する会社はもちろん、音楽に関わる仕事に携わる気は一切なかった。


 今までの自分とは、まったく違う世界で生きていく。


 そんな風に決断をしてしまえば、彩子にとって音楽はまた無二の親友となって戻ってきてくれたのが嬉しかった。









 幼い少女が好きな遊びといえば、お人形遊び。


 彩子はお人形本体よりも、人形たちを遊ばせるドールハウスに夢中になった。


 海外出張の多い父は出張から戻るたびに、1/12スケールのドールハウスのキッドやら家具などを彩子のためにお土産にした。


 そんな幼い頃の、楽しかった思い出も影響しているのかもしれない。


 彩子は自分の第二の人生として、住宅設計の世界に飛び込むことにした。


 すでに二十代も折り返し地点を過ぎていたから、今から専門校で学んで資格をとって……といった回りくどいことはせず、小さくてもよいので自分の好みにあった住宅メーカーになんとかもぐりこむ。


 木造設計であれば、二級建築士の資格でよい。実務を必要年数つめば、専門校の卒業資格がなくても受験資格は得られる。


 実務をこなしながら、学科も実技も身につけてゆけばいい。


 そんな風に考えていたのだが……。


 「はぁぁ……」


 自分で作ったサンドウィッチの味には満足したものの、現在の自分の職務内容、レベル、実力には不満ばかりで。


 もう七年目になるのに。


 彩子はこの春で三十二歳になった。


 今の仕事を始めて、三年目に資格にチャレンジしたが、完全に準備不足、実力不足であることを思い知らされる不合格だった。


 翌年は、前年の失敗を踏まえて受験は見送り、準備に専念する予定であったが、真面目に仕事をこなし、実務経験を積み重ねていった彩子は職場で重宝され、実に様々な(細々とした)業務を押し付けられるはめになり……。


 準備不足のまま受験すれば、学科はなんとか通っても実技で落とされる。


 そもそも、CAD設計が現状主流の業界で仕事をしながら、どうやってアナログな製図技術を身につけろというのだ。


 しかも、朝から晩までいくつもの現場の雑務を押し付けられ、プライベートの時間など取れない中で、予備校に通って製図を練習するなどといった余裕もなく。


 彩子は現在、三連敗中。しかも、昨年は学科試験まで落ちる始末で、実技試験に駒を進めることもできなかったのだ。


 私って意外と不器用な人間だったのかしら……。


 誇り高く、自分を守ってくれるプライドすら、風前の灯火。


 学科試験まであと一ヶ月を切った。


 今年は部長に頭を下げ、受験前には就業後の予備校通いを報告し、定時で帰れるようにお願いした。


 その分、こうして休日出勤までするはめになっているわけだが。


 今年で……最後にしよう。


 会社の中で住宅設計に携わるのであれば、なにも資格に固執する必要はない。


 自分の名前で住宅が建てられないだけのことだ。


 こうして彩子は、人生二度目の腹を括ることになった。









 「あれ? 多賀谷さんじゃないですか」


 放心状態で気を抜きまくっているところに、思いがけず声がかかる。


 口の中で小さく残っていたサンドウィッチを飲み込み顔を向けると、彩子の前にやって来たのは営業部の山田隆行だった。


 外回りをしてきたのだろうか。休日にもかかわらず、ワイシャツにネクタイをしている。


 彩子より五つ若いが、新卒入社なので二年後輩。


 工学部を出て、入社一年目、仕事で身動きが取れなくなる前にアッサリと一級建築士に合格している。


 資格を持っているにも関わらず、設計部には所属せず。


 営業部に籍を置いているものの、知識も技術も持っている隆行は、営業からプレゼン、各種申請から施工監理、あげくプロジェクトまで携わるツワモノだ。


 一つの仕事を一緒にすることはないが、小さな会社だし、設計の現場でも臆せず技術者たちと対等に仕事をこなす隆行とは自然と顔見知りになり、挨拶を交わすようになり、今では休憩室などで一緒になれば、互いの仕事の話をしたり、軽い世間話などもする関係だ。


 それに……隆行のすらりとのびた180センチ弱の身長と端正な顔立ちは、彩子に昔の恋人を思い起こさせた。


 ただし、有能さは前面に押し出すことなく、物静かだが愛想がよいため、気さくに誰とでも打ち解けられる性質はあまり似ていない。


 それに隆行は、彩子と会話をするとき、少し高い位置からほんの少し頭をさげて覗き込むようにして、必ず彩子の瞳をまっすぐに見る。


 たわいもない話をしながら、昔の恋人を彷彿とさせる美しい黒眼にじっと見つめられる時、彩子はいつも胸にざわめきを覚えた。


 「多賀谷さんは真面目だなぁ。また休日出勤ですか?」


 「うん……。二級の受験まで、無理言って定時で上がらせてもらってるから」


 「ああ……。それで最近、あんまり会わなかったんですね」


 そんな何気ない一言は、隆行が自分を気にしてくれていたのかと、つい期待してしまう。


 「……いいですか?」


 隆行は、彩子の座っている位置からは微妙に距離をとったまま、左手に持っていた煙草のパッケージを持ち上げ、断りを入れる。


 「どうぞ?」


 歌をやめてから、煙草の煙を気にする事もなくなった。


 建築業界は住宅設計であっても男社会だから、喫煙割合が多いことも影響している。


 できるだけ、隆行に気を使わせないよう、さりげなく返事をした。


 隆行は隆行で、食事中の彩子に気を使ったのだろう。


 立ったまま、彩子の横に空いているスペースにも座らなかったのは、煙草を吸いに来たから。


 気を使いつつも、離れた灰皿を使おうとはせず、一人食事をする彩子に近づいて声をかけてくれた。


 そんな何気ない優しさに、彩子はいつも胸の奥がきゅっと痛む。


 女子高生だったとしたら、きゅんとする≠ネんて表現するかもしれないけど。


 お互い憎からず思っていることは何となく感じているのに、数年たってもなかなか縮まらない距離感は、自分の隙のなさに原因があるのではないか。


 気どっているつもりなんてないけど、もっと素直になりたい。


 梅雨の晴れ間の青空と、デッキを通り過ぎる爽やかな風と、上出来のローストビーフ・サンドウィッチに、彩子は萎縮しがちなキモチがほどけていくの感じていた。









 「それ……旨そうだなぁ」


 自分のほうがよほど美味しそうに煙草を吸っているくせに、沈黙を埋めるように隆行がつぶやく。


 顔を上げた彩子に、煙草を吸いながら隆行はサンドウィッチを指差した。


 昨日までの彩子だったら、自家製のローストビーフなんですよ?≠ネどと答えて、そこから二人は料理の話だとか、最近行ったレストランの話だとか、当たり障りのない世間話を始めるところだっただろう。


 でも今日からは、一歩踏み出してみよう。


 「……よかったら、どうぞ?」


 「え?」


 彩子は思い切って立ち上がり、サンドウィッチの詰め込まれたバスケットを隆行の前に差し出す。


 ぐっと近づいた二人の距離。


 隆行の笑顔に、少し親しみが加わる。


 彩子のサンドウィッチに手を伸ばそうかとしたが、左手には煙草のパッケージ、右手には吸いかけの煙草と、生憎両手は塞がっている。


 吸いかけの煙草を消そうと灰皿に向きかけた隆行が、思いなおしたように彩子に向き合う。


 そして彩子に向かって、少し日に焼けた肌に眩しいほど白い、歯並びのよい口を無遠慮に開け放つ。


 「……え?」


 「あーん……」


 隆行は、彩子が見たことのないような子供っぽい笑顔を浮かべ、無防備に口内をさらし、サンドウィッチを彩子にせがむ。


 なっ! なんなのよっ! 突然、年下の可愛い男子的魅力を惜しげもなく振りまいて、いったいこれは何のトラップなのよ?!


 静まりなさいっ、自分! これくらいでドキドキしてるんじゃないわよっ、小娘じゃあるまいしっ!


 あああどうしようっ! 今、私の顔はきっと、ありえないほど真っ赤に染まっているんじゃ?!


 悔しい。多賀谷彩子がこれごときの事で動揺して、固まってしまうなんて。


 隆行の瞳は、まっすぐに彩子を見つめている。


 とても楽しそうに。ちょっと挑発するように。


 上等じゃないの、受けてたってやるわよ。


 彩子は断ることなく、その美しい白く長い指でサンドウィッチをひとかけ摘むと、隆行の大きく放たれた口内に差し入れた。


 隆行は、両手が塞がったままのぎこちない動きで、彩子が差し入れたサンドウィッチを中央で噛みきると、もぐもぐと大きな口を動かしながら味わっている。


 「うん……旨い」


 半分ほど噛み含んだサンドウィッチを美味しそうに飲み込むと、隆行は顔をあげ、彩子を見つめながら旨いと一言褒めた。


 「実は……さっき昼食とってきたところだし、多賀谷さんの食事横取りしても悪いし、もう十分。ごちそうさま」


 これまでの数年間で何度か見ていた笑顔も極上だと思っていたけど、この男、出力抑えてたのね……。


 悔しくなるほど、胸が高鳴るほどの最高の笑顔を見せて、隆行は昼下がりのショータイムに幕引きをする。


 彩子の右手には、隆行の食べかけのサンドウィッチが半かけ残されたまま。


 「旨いサンドウィッチのお礼に、コーヒーでも奢る……」


 デッキ正面に設置された、自販機に向かう隆行の背中に、彩子は精一杯の言葉を投げつける。


 「自家製のローストビーフに、上出来のサンドウィッチの対価としては、ワンコインのコーヒーは安すぎよ」


 隆行の足が止まり、驚きを隠せない表情で彩子を見つめる。


 「それに……山田くん、それ天然なの?
 こ、こんなことさせられたの初めてだったから、すっごくドキドキしちゃったじゃない……。
 もうっ!すごく悔しいっ!」


 心のままに、素直な言葉をこぼした彩子は、力尽きたようにへなへなとベンチに座り込んだ。


 その隣に、隆行は腰を下ろす。


 いやだ、もう無理。顔あげられない……。


 俯いたままの彩子に、隆行が声をかける。


 「ごめん……計算だったかも。
 そうだね、見合った対価を返さないと。
 これから報告書つくって……十九時くらいでどう?」


 休日出勤分の仕事は片付いていた彩子だったが。


 ここは素直に。


 「……学科の勉強しながら待ってる」


 気取らずに、ありのままに。


 「付き合わせた分、美味しいものごちそうするよ」


 「……うん。期待してる」


 素直にキモチは言葉にできたけど、まだ顔をあげて隆行を見る余裕まではない。


 「じゃあ……速攻で片付けてくる。
 設計に迎えに行けばいい?」


 「うん……」


 俯いたままの彩子を残して、隆行が立ち上がった。


 「じゃあ、あとでね」


 いつの間にか、二人の交わす言葉から、ですます≠ヘ取り払われて。


 俯いて視線を落としたまま、彩子は、視界から消えつつある隆行の足元を目で追っていた。


 ふと、隆行の足元が止まり、こちらに足先が向いたのに気付き、彩子は思わず顔をあげ、隆行を見つめた。


 「それ……残りちゃんと食べろよ?
 間接キスだけど」


 彩子の、完璧にメイクされた美しい顔を、あっという間に真っ赤に染め上げて、山田隆行は満足そうににやりと笑うと、屋内へと消えていった。


 恋の始まりの予感を残して。
 



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 明日の(いや、もう今日か)土曜出勤のランチはローストビーフサンドイッチを作ろうと、スーパーで買い物をしていて妄想しました(笑)
 あの多賀谷彩子さんが、OLになって健気に頑張るなんて、人間ていいなっ!なんてほろっとします、自分で(笑)

 頑張る彩子さんに、いや、全OLの皆サマに素敵なトキメキを!恋を!

 そして香水は、明日ニヤニヤしながらサンドイッチを作り、ランチにします。ちょっとしたフィッシング?いや、何も釣れないけど(笑)

 P.S. らいすサマ、ここで間接キス出してみました(爆)ちあのだじゃなくてごめんなさいー!
 

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