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のだめ下剤陣痛間違い事件から2週間が経とうとしていたころ、突然雅之から連絡があった。 「急で悪いんだけど、明日から二晩ほどそっちに邪魔していいか? パリでちょっとした演奏会を頼まれたんだけど、昔世話になった奴からの頼みで断れないんだよ。 急だったからホテルもとれねーし……」 「かまわないけど……。そういう約束だし」 「……征子とか来てないのか?」 「なんで?」 「だって、嫁の出産、もうすぐだろ?」 「ああ……、覚えてたのか。 もうすぐ予定日だけど、母さんは生まれたら来るって。あの人はあの人でいろいろ忙しいみたいだし」 「そっか……。 俺が邪魔しても嫁は大丈夫なのか?」 「ああ、大丈夫だろ?腹はでかいけど、それ以外は何にも変わんねーよ。 むしろ、少しは変わってほしいというか……」 「ははは!お前、相変わらず嫁に振り回されてんのか?」 「……」 愛の夢 Liebestraume 翌日、昼過ぎに親父がアパルトマンに到着した。 パリの自宅に親父が来るのは、なんだかんだ結婚から3年近く経とうとしてる今回が初めてのことだった。 この部屋を貸してもらうことになったときの条件では、パリに来るときは使わせてもらうってことだったけど、親父は親父で新婚の俺たちに気をつかってか、のだめが泊まるように言っても、なんだかんだ理由をつけては、ホテルに宿をとっていたようだ。 「お父様、お久しぶりデス!」 「うわ、腹でかいな……」 おいおい、臨月の腹して、夫の父親に抱きつくなよ……。 のだめは親父に会うと、必ず抱きつくようになった。 それまで、のだめのそういった行動は、俺に対する愛情表現だと思っていたので、まるで飼い犬が飼い主以外の人間にも懐いてしまったようで、俺ははっきりいって面白くない。 今となっては、のだめはのだめなりに親父に気をつかって、長年親交のなかった俺たち親子の間を取り持つつもりもあるのだろうと理解するようになったけど。 「ほら、いいかげんにしろ。真一に怒られるぞ?」 「う、うるせえ……」 親父は挨拶もそこそこに、自分に用意されたピアノ部屋にこもると、早速練習を始めた。 「さすがデスね。 マサユキ・チアキはああ見えて、ピアノの道をストイックに突き進む求道者のように思えマス。 真一クンと似てますね、そゆトコ」 大きな腹を抱えて、リビングのソファーに我が物顔でふんぞり返る俺の妻は、そう言ってうっとりと瞼を閉じると、もれ聞こえてくる親父のピアノに耳を傾ける。 「求道者ね……」 俺は幼い頃、一日中聞こえていた父親のピアノを思い出し、のだめの台詞を認めたいような認めたくないような、複雑な思いにかられた。 夕食の準備がととのった頃、たっぷりとピアノを弾いた親父がリビングにやってきた。 「お、いい匂いだな……」 「お父様、真一クンのお料理は初めてデスか? すっごく美味しいんデスよ!厨房のマエストロと呼ばれているんですから〜!」 「お前は料理しないのか?」 「嫌デスねぇ、お父様。夫婦には夫婦の役割分担というものがあるんデス。 のだめだって、やる気になればこれくらいの料理作れマスよ? でも、真一クンがのだめのために美味しい料理を作って、それをのだめが美味しい美味しいといって喜んで食べると、真一クンはそれだけで幸福に満たされるわけデスよ。 これが私たち夫婦の愛情交換なんデス!」 「まぁ役割分担ってのは間違ってないな。こいつの料理は破壊行為だから。 それに、こいつにとっては、食べることが生存理由だったりするし」 「真一クン、言ってることがおかしいデスよ? 生きていくために食べるんじゃないデスか。 のだめが食べなかったら、ベーベちゃんが育ちませんよ?」 「……ごもっともで」 「……お前も大変だな……頑張れよ(ぼそっ)」 「……どーも……」 食後、リビングに移動して、のだめは親父相手に、妊娠中の超音波画像なんかを貼り付けた妊婦日記なるものを見せている。 「ほら?これがべーべちゃんのお顔デス。真一クンに似て、かわいいデショ?」 「は?この"ムンクの叫び"みたいなのか?」 「なっ!失礼なっ!べーべちゃんはそんなお顔ぢゃないデスよっ!」 「そ、そんなことより(話変え)赤ん坊は男なのか?女なのか?」 「知りません。出てくるまでのお楽しみデス」 「ふーん……」 親父が俺のほうを向き、訊ねてきた。 「お前はどっちがいいんだ?」 「え?俺?」 「普通は女だと男親に似て、男だと女親に似るっていうけど、お前たちの場合、女親に似るといろいろ大変じゃねーか?」 「なっ!なんなんですか、お父様はさっきからー! のだめみたいに、可愛くて素直で何でもよく食べて健康だったら最高ぢゃないデスかー!」 「まぁ、男でも女でも、この強烈なDNAは間違いなく引き継がれるだろうから……」 「はぁ……そうだな」 「むっきぃーーーー! 今日の二人、やけに気があっちゃって、感じ悪いデス! のだめ、もう休ませていただきマス!」 のだめがぷりぷり頭から湯気を出して立ち上がると、親父は面白そうに口元を緩めて、言った。 「まぁまぁ、そうカリカリ怒るな。 お詫びといっちゃなんだけど、胎教によさそうなのを一曲プレゼントするから」 親父のピアノが聴けるとなった途端、のだめは喜びの表情を顔いっぱいに浮かべ、俺の手を掴むと、リビングのピアノが一番よく聴こえる特等席に移動する。 俺は右腕をのだめの肩にまわし、左手を満月のようにまんまるに膨れたのだめのお腹の上に置く。 のだめは頭を俺の右肩に預け、左腕を俺の腰に回すと、右手を俺の左手の上に重ねる。 バルコニーの前のグランドピアノは、明かりを反射して黒く美しく艶めく。 雅之はゆっくりと腰かけ、目をとじたまま頭をそらして瞑想するようなポーズをとったあと、ゆっくりと両手を鍵盤に置き、静かにピアノを弾きはじめた。 フランツ・リスト。愛の夢−3つのノクターン、第3番「おお、愛しうる限り愛せ」 流れるような優しい主題が、リビングに静かに響く。 優しい愛のささやきのような旋律のあと、徐々にささやきは熱を増し、情熱的な愛の賛歌へと変化する。 そして優しい抱擁。甘いくちづけ。 俺はのだめを抱く右腕に力を込め、左手に重ねられたのだめの右手を優しく握りしめ、優しく撫でる。 それに応えるかのように、のだめの左腕が俺の腰を強くひきつけ、右肩に載せられたのだめの頭がゆっくりと起こされて、俺を見つめているのを感じる。 俺は親父の様子を伺いながら、のだめの頬にこっそりキスをした。 ピアノからは、愛する者同士が一つに溶け合ったかのような優しい主題が再現され、リビングは甘い雰囲気に満たされた。 「のだめ、産気づきまシタ……」 「はぁ……。 お前、今その台詞言うの、洒落になんねーから……」 「えっ!大丈夫なのかっ!」 「ああ……、こいつ音楽聴いて触発されてピアノ弾きたくなると、こういう言い方するんだよ。 いいんじゃね?マサユキ・チアキにお前の演奏も聴いてもらえば?」 「ひっひっふぅーーーー。 ち、違いマス。のだめ、マジで産気づきまシタ……」 「「えええっ!!!」」 信じられないことだが、すでにのだめの陣痛は5分間隔になっており、このまますぐにでも産まれてしまうのではないかと、俺は初めての経験でどうしたらいいのかわからず。 「お、おいっ!初産は一晩くらいかかるんじゃないのか?!」 「ひっひっふぅーーーーっ! し、知りまセンよ?のだめだって初めてなんデスからっ! き、きっとべーべちゃんがマサユキ・チアキのピアノに触発されて、今すぐ産まれたいって産気づいたんデスよ……」 「はぁ……。間違いなくコイツの遺伝子が強いな。 とにかく、お前は病院に連絡して、指示してもらえ。 嫁、出産の準備はできてるのか?」 そのとき、1人だけ冷静だった親父がその場を仕切りだした。 「は、はいっ!ベッドルームに出産用の荷物、ま、まとめてありマス」 親父がベッドルームに向かったのを見て、俺も慌てて病院に連絡をする。 陣痛の間隔を伝え、すぐに病院へ来るように言われたので、家を出られるように支度する。 「車は俺が運転してやるから、お前は嫁を連れて来い」 「わ、わかった……」 慌てる俺たちに、親父の冷静さがありがたい。 俺は生まれて初めて、親父がいてくれたことを心強く思った。 信じられないシチュエーションだが、俺は親父と二人、病院の待合ロビーで並んで座っている。 「俺……気にしてねーから」 「……なんのことだ?」 「リスト。だから弾いたんだろ? 大丈夫だから……」 リストの愛の夢、第3番「おお、愛しうる限り愛せ」は、その甘い旋律から男女の愛の歌と思われることが多いが、そうではない。 ドイツの詩人ヘルマン・フェルディナント・フライリヒラートの詩にうたわれているのは、人間愛。 "そして気をつけるのだ お前の舌には十分に 間違ったことを言ってしまったあとですぐに ああ神様、そんなつもりではなかったのと言っても 彼は去って行ってしまうだろう 嘆きと共に" 真一の脳裏に浮かぶのは、幼い頃、隣の部屋からもれ聴こえた父親の発した言葉。 "どうせね……、失敗したんだ" 「……俺は自分の生き方に後悔もしないし、反省もしない。 でも、それとは別に……お前のこと、失敗だなんて思ってないぞ。 お前はすごいよ……。誇りに思ってる……」 「……ありがと」 「まぁあれだ。夫婦のこともそうだが、親子関係もな、とにかく俺のことは反面教師にして、頑張ってお前は幸せになれ」 「大丈夫だよ。俺は女はアイツしか考えられねーから」 「……お前って、やっぱりすごいな……」 のだめはどこまで行ってものだめだ。 初産を1時間で済ませやがった。 病院に着いた時には、すでに子宮口は全開で、すぐにでも出産できる状態だったが、分娩台が塞がっていたので、30分待たされたのだ。 「もう駄目っ!だめデスぅーーーー! こ、ここで産みマスっ!むっきゃぁーーーーー!」 分娩室の前室で、移動式カードに乗せられたのだめは、ここで産むといって看護士を困らせたらしい。 分娩台でのだめの前の妊婦が出産し、赤ん坊と感動の対面をしている中、絶叫とともに乱入して、親子をあわただしく追い出し、3回目のいきみですぽーんと産み落としたらしい。 親父もまさか俺たちの子供の出産に立ち会うことになるとは想像していなかったようで、 「お、おい……。征子には俺がここにいたことは内緒にしておけよ?」 と言い残し、孫の顔を見ると、抱きもせずにさっさと1人アパルトマンに戻ってしまった。 「お父様……、どしたんデスか?」 「多分、母さんより先に孫を抱いたらまずいって遠慮したんだろ?」 「へぇー。お父様もそんな気遣いのできる人なんデスね?」 「気遣いってゆーか、防衛反応だろ? 母さんって意外と、根に持つとこあっから。 最近になって交流しはじめた親父が自分より先に孫を抱いたとか、出産に立ち会ったとか、ぜってー根に持ってネチネチ言いそうだし……」 「征子ママがねちねち……。真一クンのねちねちは征子ママゆずり?」 「う、うっせぇ……」 俺たちの赤ん坊は女の子だった。 予定日より1週間ほど早かったが、体重は3000グラムちょっとで、俺に似て最高に可愛い。 3回目のいきみで超安産だったのだめは産後ももちろん元気で、病院からは一泊したら帰宅していいと言われ、俺は驚いた。 「え、でも……。まだ先のことだと思っていたので、自宅は準備がまだ整ってなくて……」 「ああ、普通は二泊されますよ。チアキさんの場合、超安産だったから、ご希望だったら一泊で帰ってもいいって意味で。 じゃあ、二泊されます?」 「お、お願いします……」 俺は、のだめと我が子の待つ病室に戻り、二泊したら退院だから、これから帰宅して準備をしてくると伝える。 「なぁ、もう一回抱かせてくれよ」 幸せそうな笑顔で、我が子を愛しそうに抱くのだめに了承をもらうと、俺はベッドサイドのシンプルな椅子に腰掛け、慎重にのだめから我が子を受け取った。 「ちっちぇ……」 俺の長い腕には小さすぎて、気を緩めると落としてしまいそうだ。 俺に似てすっきりと通った鼻筋。 生意気にもすでに頭にはふさふさと髪の毛が生えていて、これはのだめに似たのか、色素の薄い、薄茶色のやわらかそうな髪が子猫みたいだ。 「目、開けねーかな……」 「開けまセンよー、まだ生まれてから2時間くらいしか経ってないんデスよ?」 パパはせっかちでちゅねー。のだめが我が子に優しく話しかける。 「それより真一クン、48時間以内に出生届出さないと、この子、この世で生きていけまセンよ?」 「えええっ!!!聞いてねーよ、なんだよそれ、名前どーすんだよ……」 「ちゃっちゃとつけちゃってくだサイ? 48時間以内に」 「はぁぁ……」 俺たちの娘にどんな名前がつけられたのか、その後の顛末はまた別のお話で。 --------END--- リク祭★第五弾はまぽサマよりリクエストのSSです。 リク内容は「「愛の夢」というお話は「夜想曲」まさに続きの部分で子供が生まれてくるというお話(娘)で、私のお気に入りの曲でもある「愛の夢 3番」のおお愛しうる限り愛せがお話の題材となっています。超甘甘なお話でお願いしたいです」との事でした。 超甘甘……orz まぽサマ、ごめんなさい。 香水の中にはない言葉なのかも知れませんね……(遠い目) 頑張ったんですけど、この程度で勘弁してください。 リストの愛の夢が題材ということで、すぐに「そして気をつけるのだ お前の舌には十分に」という台詞からくる、父子のお話を思いつきました。 香水もお話をする仕事をしているので、この「口から出た言葉は取り消せない」ということは肝に銘じておりますが、親子だもの、そろそろ水に流そうよということで。 雅之さんも気にしてるんじゃないかと、期待をこめて。 話中で歌詞を引用させていただいたのはこちらのサイトです。 http://homepage2.nifty.com/182494/LiederhausUmegaoka/songs.htm のだめさんらしい、変態で天才な出産シーンとなって、香水的には大満足です。 しかしフランスの出産ってすごいですね……。普通分娩なら3日で退院、出生届は48時間以内ってせわしないなぁ。 妊娠、出産ときて、次は育児リクに行きます! マエ婚がまだ挙式できてないのに……いいのか?(笑) 今後も芒果布甸/mangopuddingをよろしくお願いします。 2010.10.10 香水 ★リスト 愛の夢 第三番 雅之さんとは、らいぶキャラの違う、ムッシューですが(笑) フランスつながりで、ミシェル・ダルベルトさんのリストを。 なんか、鏡を使った演出とかがウザイですが……。 絶対に雅之さんがしないだろうムッシュの表情がイイです(爆) SS indexに戻る |